考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』39話 蔦重(横浜流星)、定信(井上祐貴)に喧嘩売って絶体絶命!「見義不為 無勇也」てい(橋本愛)の命乞い『論語』のかっこよさ
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
赤ん坊みたいなもんだよ
べらぼうな男、蔦屋重三郎。
39話では1話からあらゆる意味でブレていない蔦重(横浜流星)の姿が描かれた。
愛妻・きよ(藤間爽子)を喪った悲しみに寝食を忘れ、抜け殻のようになってしまった喜多川歌麿(染谷将太)。心配した蔦重は、母・つよ(高岡早紀)を歌麿の元に呼び寄せた。
つよは握り飯をそっと歌麿の傍に置き、
つよ「歌。ここに置いとくね。気が向いたら食べとくれよ」
温かい声を耳にして、やっと歌麿は静かな涙を流すことができた。
きよは、赤子をあやすように、歌麿を抱き寄せる。
歌麿を扱いかねて困惑していた蔦重を「赤ん坊みたいなもんだよ」「今はそうやってしのいでゆくしかないしかないよ」と諭す。
歌麿は、肉筆の襖絵を依頼した栃木の豪商・釜屋伊兵衛(益子卓郎)のもとに身を寄せることにしたようだ。一緒に行こうとはやる蔦重を、つよは押しとどめる。
「やめときなよ。あんたから離れたいってのもあるみたいだからさ」「蔦重に相談したら? って言ったら『もう関りないから』って」
歌麿を深く傷つけた原因に心当たりがある蔦重。おそらく、38話(記事はこちら)終盤、荒れ狂う歌麿を抑える時に発した「お前は鬼の子だ」だろう。それは、歌麿の幼い日のトラウマに関わる言葉だ。
歌麿と話し合おうとするのを、つよは諫めた。
「歌のためじゃなくて、歌に自分の気持ちをわかってほしいだけだろ? 今はまだ、そういうのは駄目さ」
話し合えばわかりあえるというのは、蔦重がこれまで貫いてきたポリシーだ。だが、つよはそういった率直な行動力が悪く働いてしまう場合があることをわかっている。
今は焦らないことだ。お互いに生きてさえいれば、諦めなければ、わかりあえる日はいつかきっと来るであろう。
「教訓読本」作戦
寛政2年(1790年)10月。地本問屋の株仲間が正式に発足した。
出版統制の一環として、株仲間内で自主検閲を決まりとし、新たな出版物の刊行が許されたのである。幕府側からの「好色本、洒落本、時事風刺、政治批判の出版を禁ずる」というお触れに則り、株仲間の中から選ばれた行事が草稿をチェックし出版の可否を決めるという仕組みである。
蔦重が山東京伝(古川雄大)に執筆を依頼した洒落本『仕懸文庫(しかけぶんこ)』は、「こりゃ、いくらなんでも」と行事たちに突っ返される。
『仕懸文庫』の内容をごく簡単に紹介すると、
舞台は鎌倉時代、大磯の色里。英雄譚『曽我物語』でおなじみの朝比奈、十郎、団三郎という3人の武士がやってきた。少し年嵩の朝比奈は、若い十郎と団三郎に女郎遊びを指南する。
幇間(たいこもち)と芸者を呼んでドンチャン楽しく宴会した後は、めいめい敵娼(あいかた)とお床入り。色里での遊びに不慣れな若い2人は、真実の恋を胸に覚えて、この娘に誠を尽くそうと決める。
そうこうしている内に時間切れ、恋人たちに別れの刻を告げる富岡八幡宮の鐘が鳴る。名残惜しいが、また今度。きっと逢いに来るからね──。
と、まあこういったあらすじである。
出版禁止にするほど過激かなあ? とは思うが、好色本だろうと言われたらその通り。
蔦重は「好色を描くことで好色を戒める、そう但し書きしてあるじゃねえですか」と粘るが、行事たちは首を縦に振らない。体制は敷かれたばかり、幕府は自主検閲が正しく行われているどうか目を光らせているだろうと心配しているのだ。
じゃあ……と蔦重が出した案は、本を袋に入れ、表に「教訓読本(教訓や生活の知恵をまとめた学習本)」と示せば好色本とバレないのではないかというものだ。いわば、雑誌のグラビア袋とじのような作戦。
いや絶対バレるでしょ。
行事たちの言うとおり、自主検閲の体制が敷かれたばかりなのだから、奉行所は高確率でチェックするだろう。しかし、蔦重に「頼む! 色を売るしかねえ女たちの力になってやりてえんだよ」と頭を下げられて、行事たちは折れてしまった。
こういった経緯で寛政3年(1791年)正月、山東京伝作『仕懸文庫』『娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)』『青楼昼之世界錦之裏(せいろうひるのせかいにしきのうら)』のあわせて3作が「教訓読本」と題された袋に入れられて、耕書堂から出版されたのだった。
ちなみに『仕懸文庫』とは、女郎の着替えを入れる箱のこと。「娼妓」は女郎、「青楼」は遊女屋だ。そんなタイトルの本が「教訓読本」の袋に入れて出版されたのだから、幕府からは「お上を舐めてる」と受け取られそうではないか。
「そこ、ここで逃げ道は作っておきましたけど……」と京伝は不安げだ。
気持ちはわかる。
大丈夫なのかなあ。
蔦重VS定信
大丈夫ではなかった。
耕書堂に奉行所の役人が踏み込んできたのだ。
教訓読本3作の絶版が言い渡され、蔦重と京伝は逮捕連行されてしまった。
お白洲に引き出された蔦重に、北町奉行・初鹿野信興(はじかののぶおき/田中美央)は御公儀を騙した重大事件として、老中首座・松平定信(井上祐貴)が直接取り調べることとなったと告げる。
ゆっくりと入場してくる、定信──。
蔦重も役人も仰天している。老中首座とは現代で例えれば総理大臣だろうか。総理大臣が地検の取調室で尋問にあたるようなもので、あり得ないのだ。だが、あり得ないことが起こるのが『べらぼう』のよいところだ。
定信「心得違いを認め、かようなものは二度と出さぬと誓え」
黄表紙好きだった定信は、耕書堂の主・蔦重がどんな男か見るつもりで相対したのか。あるいは今後は幕府の方針に沿った書物を出すと誓わせることで本屋としての命を繋いでやろうとしたか。
「かようなもの」に対して蔦重は、これはあくまでも教訓読本なのだと反論。
「好色本か教訓読本か決めるのは、うぬではない。私だ」と返す定信に、かすかに眉を寄せ、ふぅん……というように、ほんのわずかに頷く蔦重。
これはお上相手の喧嘩である、と解釈したのだ。火事と喧嘩は江戸の花、ここで退いたら男がすたる。
蔦重は「澄んだ川と濁った川、魚にとって住みやすいのはどちらか」と唐突に問う。「濁った川であろう」と応じた定信に「それは人間も同じだ」と結論してみせる。確かに、多少は濁った社会のほうが、人は生きてゆきやすい。
定信「……さようなこと、百も承知だ」
蔦重「そりゃそうだ。五つで論語をそらんじられた賢い御方にご無礼いたしました」
定信政権が読売に書かせた提燈記事から生まれた伝説を皮肉る蔦重、絶句する定信。
喧嘩にせよ、老中首座を相手になぜここまで攻撃的なのかと肝が冷える思いがしたが、
蔦重「雲の上のお方とお会いできるなんて、滅多ねえわけでございますから」
この台詞で気づいた。
蔦重にとって定信は、田沼意次(渡辺謙)が育んだ自由闊達な気風を消し去った政治家。多くの作家に筆を折らせた人物。なによりも、恋川春町(岡山天音)を自害に追い込んだ男である。盟友たちの仇なのだ。
一矢報いるのであれば、人生でただ一度きり、ここしかない。
刃のように鋭い皮肉をもって、蔦重は命を懸けて戯(たわ)けたのだった。
蔦重「近頃『白河の清きに魚住みかねて元の濁りの田沼恋しき』なんて詠む輩もいるんですよ」
定信の領地・白河藩の名から、今の政治を澄んだ川に例え、清く正しくを押しつけるこの世は住みにくくなった、汚職が横行していても自由だった田沼時代が恋しいねえ、という狂歌。あんなにも意次を悪者と叩いていた世の中の手の平返しは凄まじい。
蔦重の戯けぶりは止まるところを知らない。
定信が合図し、役人たちが蔦重を引き起こす。引っ立てられながらも蔦重の止まらぬ戯け。次々と胸に突き立てられる舌鋒に、定信は明確な敵意を感じ取っただろう。
耕書堂が出版した黄表紙を読み「蔦重大明神がそれがしを励ましてくれておる」と、子どものように喜ぶ姿を思い出す(35話/記事はこちら)。
本屋と読者という幸せな関係には戻れない二人。
言論封殺と出版規制に酷いなあと憤る一方、定信を哀れにも思う。
ていの決意
蔦重が盛大に戯けたという急報は、長谷川平蔵(中村隼人)によって耕書堂にもたらされた。時の権力者に対しての無礼、蔦重の命は風前の灯である。
須原屋市兵衛(里見浩太朗)、鶴屋喜右衛門(風間俊介)、村田屋治郎兵衛(松田洋治)、宿屋飯盛(又吉直樹)に、てい(橋本愛)は夫の命乞いを懇願する。
鶴屋「累が及ぶことを考えれば命乞いはできませんよ。皆……店も家もあります」
絞り出すような声に、助けられるものなら助けたいという鶴屋の感情が読み取れる。
「訴えられるとすれば、おていさんしかいません」。この提案は、妻として奉行所で泣き落としをせよということではなさそうだ。飯盛が言い添える。
「公事宿(くじやど)の連中が、よくぼやいてるんです。厳しいお裁きってなぁ朱子学の説くところとは矛盾してんだよなぁって」
宿屋飯盛は、小伝馬町(現在の東京都中央区)で旅籠屋を営んでいる。
当時の小伝馬町には、訴訟のために地方から出てきた人が泊まる宿──公事宿が集まっていた。公事宿は宿泊だけでなく、訴訟に必要な書類の作成や手続きの代行も行った。飯盛は、そうした宿屋仲間から得た情報をていに伝えてくれているのだ。
朱子学において最も重視される教えのひとつが「性即理」だ。人間の性は本来は理に従う善であるという考えで、これは現代でもよく知られる「性善説」に基づいている。
訴訟事情に明るい公事宿の主たちは、人間が本来善であるならば、厳しすぎる刑罰は必要ないはずだと指摘しているというのだ。
幼い頃から漢籍に通じているていは、即座に飯盛の言葉を理解した。
てい「では、その矛盾をつけば……!」
平蔵「ただし、上手くいくとは限らぬ」「命乞いをした者もただではすまぬかもしれぬ」
てい「……参ります。座して死を待つだけなのであれば」
夫を救うため、ていは決意を固める。
義を見てせざるは勇無きなり
長谷川平蔵は、ていを定信のブレーンである儒学者・柴野栗山(しばのりつざん/嶋田久作)に引き合わせた。
ていは切り出す。
てい「之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格る。
(民を法律尽くめで指導し刑罰で統制しようとすれば、民は法の抜け道を探し刑罰を免れることだけ考え、少しも恥じるところがない国民となります。徳と礼で導けば、民は恥を知り、自らを正すようになるのです)」
儒学の経典『論語』を引用して夫・蔦重の命乞いをしたのだ。受けて栗山、
「君子は中庸にして小人は中庸に反す。小人が中庸に反するは小人にして忌憚(きたん)なきなり。
(君子は偏りのないバランスの取れた行動を取ることができるが、小人はそうではない。
自分の欲望のままに、畏れ知らずの偏った言動をするのだ)」
その方の夫は2度目のあやまち。許しても改めぬ者を許し続ける意味がどこにある?」
儒学の『中庸』から例を出し、蔦重の非を咎めた。
ていは、ふたたび『論語』の一節を出して希う。
「義を見てせざるは勇無きなり(人として為すべきことを知りながら、それを行わないのは勇気がない人間のやることだ)」
倹約令と悪所潰しで女郎が困窮している。女郎買いの指南書とされた当該本は、遊里での遊び方を踏まえた客を増やし、女郎たちの置かれた状況を少しでもよくしたいという義にかられた夫が出したものと説明し、
「女郎は親兄弟を助けるために売られてくる、孝の者。不遇な孝の者を助けるは正しきこと」「どうか、儒の道に損なわぬお裁きを。願い出る次第にございます!」
ていの申し開きは詭弁ではない。
身請けされる、あるいは年季の明けた女郎が町民の妻となるなどして社会に受け入れられ、差別を受けなかったのは「女郎は孝の者」という考え方が江戸時代では一般的であったからだ。
儒学において「親孝行・孝行」は重要な倫理観である。
ていは学者を相手に、徹頭徹尾、儒学・朱子学を基にした議論を戦わせた。
徒手空拳……いや、己の中で培った学識を武器にして。
26話(記事はこちら)で自分は蔦重にふさわしい妻ではないと語ったていだが、この助命嘆願は彼女にしかできなかった。
おていちゃん、かっこいいぞ!
ていの儒学議論場面は、蔦重のお白洲場面と対になっている。
蔦重とてい。耕書堂の夫婦がそれぞれに遂げた大いくさ、名場面であった。
この、べらぼう!
判決が言い渡された。
行事ふたりは江戸払い。山東京伝は50日の手鎖の刑。どちらも気の毒だ。
そして、蔦重は「身上半減(しんしょうはんげん)」。
それを受けて蔦重、奉行・初鹿野信興を相手に戯け始めた。
「縦でございますか、横でございますか。身を真っ二つってことにございますよね」
身上(財産)を半分没収するという意味だと説明する奉行に「富士より高きありがた山にございます」。戯けることをやめない。
蔦重の後見、身元保証人として出廷した義父・駿河屋市右衛門(高橋克実)が(この野郎、まだふざけやがって)と歯がみする隣で、ていの眼鏡の奥の目も怒りに染まりつつある。
初鹿野が辛抱強く「以後は心を入れ替え、真に世のためとなる本を出すことを望んでの沙汰である」と、温情ある判断である旨の判決理由を伝えてもなお、戯けようとしたそのとき。ていの平手打ちが音高く響いた。
蔦重「えっ。なんで……」
なんでじゃないよ。
てい「皆さまがどれほど……!この、べらぼう!」
まったくだ。周囲の皆が蔦重を救おうとどれほど気を揉み、奔走したか。おていちゃんはどれほど心配したか。
怒っていいし、平手打ちではなくゲンコでもよかったと思う。
釈放されて耕書堂に戻ってからも空気を読まず軽口をたたき、鶴屋さんにも
「ほんと……そういうところですよ!!!」と怒られる。
蔦重は昔から、自分に向けられる愛情に無頓着で鈍感なところがある。愛してくれている皆の気持ちを考えず、突っ走ってしまう。
今回、おていちゃんと鶴屋さんに本気で叱ってもらえて、よかったよね。
本当に半分だねえ
身上半減の刑が執り行われた。
奉行所の役人によって耕書堂にある紙、板木、書籍、家具、畳が半分持って行かれる。看板、暖簾、店内の貼り紙に至るまできっちり半分に切って没収された。
蔦屋重三郎の受けた身上半減の刑の内容については、複数の説がある。
店や土地も含めた全財産の半分を没収された説。年収の半分を罰金として徴収された説など。
ドラマのように何もかも半分持って行かれたのかは不明だが、こうして見るとかなりインパクトがある刑だ。
生まれ育った、長年守ってきた店がこんな姿になってしまって涙ぐむていと、がっくりうなだれる女中のたか(島本須美)の姿に胸痛む思いだ。
店中が意気消沈しているその時、表から大笑いが聞こえてきた。
大田南畝(桐谷健太)「いやあ、ハハハハ! 本当に半分だねえ!」
宿屋飯盛「暖簾まできっちり半分ですよ」
大田南畝「ふんどし(松平定信)の几帳面さがうかがえる。プフッ」
蔦重が表に出てみると、大田南畝らだけではない、物見高い江戸の衆が世にも珍しい刑罰をくらった耕書堂を見物に集まっている。
その表情を目にした蔦重がニヤリ。これだ……!
大きな看板に「身上半減ノ店」としたため、日本で唯一身上半分にされた、世にも奇妙な本屋として大々的に売り出した。
久しぶりに蔦重の「そうきたか!」アイデアが飛び出して、救われた気がする。
最初にまっぷたつの耕書堂を豪快に笑ってくれた南畝先生、ありがとう。
転んでもただでは起きない蔦重の様子を報告で知り、救われたのは松平定信も同じではなかったか。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」。柴野栗山の助言を受けての判決だったが、財産刑としてはけして軽くはない。
蔦重がへこたれずに奇想天外な商売を繰り広げているということに、元愛読者として安心したように見える。
その定信のもとに、長谷川平蔵が江戸で起こっている凶悪犯罪について緊急報告でやってきた。
待ってました! 鬼平
凶悪犯罪の下手人は「妖盗葵小僧」。徳川家の葵紋を掲げて頭目が徳川将軍のご落胤を名乗ったため、そう呼ばれたという。卑劣極まりないその犯行は江戸の町を震撼させた実在の強盗団であり、時代小説『鬼平犯科帳』にも登場する。
長谷川平蔵はその賊を捕らえたことで一躍、名をあげた。
葵小僧を待ち構えて、
「火付盗賊改方、長谷川平蔵である! 神妙に縛につけ!」
待ってました! 鬼平! 時代劇ファンへの大サービスシーン。
頭目の処刑により落着したが、事件の波紋は幕府中枢に及んでいった。
若年寄・本多忠籌(ただかず/矢島健一)は、強盗団が不景気によって職を失い、悪の道に落ちた者ばかりだったことを問題視する。倹約令と風紀の取り締まりをやめるべきだと定信に進言するが、定信は暗愚な者だけが凶行に走るのだとして、取り付く島もない。
定信の命で作られた人足寄場(軽犯罪者の自立支援施設)は既にいっぱい。定信の言うように暗愚な人間だけが犯罪者になるのなら、なぜこうも多いのか。失政のせいではないかと忠籌が警告する。
だが、定信は退かない。帰農令を機能させよという。
帰農令とはその名のとおり、天明の大飢饉の前後、疲弊した農村から都市部に流入した人々に故郷の農村に帰るよう促す法令だ。
江戸の食糧問題と治安回復、農村の復興と米の生産量回復を狙ったものだが、民の反応は鈍かった。
忠籌「越中守様。人は『正しく生きたい』とは思わぬのでございます。『楽しく生きたい』のでございます!」
理想と現実の、どうしようもない乖離に青ざめる定信。
次回予告。
蔦重、歌麿に接触。歌麿から聞いたことのない怒号が響く! もう、おっかさん……つよさんだけが頼り。「率先垂範!」。ああ、定信は40話でも肩に力が入ったままだ。治済(生田斗真)、葵小僧とは無関係なんでしょうね? 来週は次郎兵衛にいさん(中村蒼)が出ます!
「たりらりらーん」の大男と「なっ!」の細身の男。この終盤に新たな登場人物。
40話が楽しみですね。
*******************
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、古川雄大、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
*******************