考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』32話 「カラッといきてえじゃねえですか、江戸っ子の打ちこわしは」蔦重(横浜流星)に応えた新之助(井之脇海)の幟が今、はためく
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
大奥総取締・高岳に相談
政治家が揉めると、大迷惑をこうむるのは庶民である。
32話は、政争に翻弄される蔦重(横浜流星)、新之助(井之脇海)ら民の姿が描かれた。
10代将軍・家治(眞島秀和)の死により、後ろ盾を失った田沼意次(渡辺謙)は老中の地位から追われた。
江戸城内では、飢饉と洪水の被害から立ち直っていない民の暮らしをそっちのけに、政治的駆け引きが激化してゆく。
意次の代わりの老中を誰にするのか、この重大案件に徳川御三家が介入してきた。
徳川御三家とは、江戸幕府初代将軍・徳川家康の息子たちを祖とする家である。尾張藩徳川宗睦(むねちか/榎木孝明)・紀州藩徳川治貞(高橋英樹)・水戸藩徳川治保(はるもり/奥野瑛太)がずらりと勢ぞろい……この威厳よ。
3人揃って座っているだけで、御三卿・一橋徳川家当主の治済(生田斗真)よりも偉い立場だというのが、一目でわかる。
御三家が老中にと推挙したのは、松平定信(井上祐貴)だ。御三卿・田安徳川家の血を引く
定信を老中に据えることで、「成り上がり者」田沼意次の政治を払拭して徳川家主導の政治を取り戻したい狙いがあるのだろう。
田沼派である松平康福(やすよし/相島一之)と水野忠友(小松和重)のふたりの老中は、意次を老中から退ければ安心できると踏んでいた。それなのに反田沼の急先鋒である松平定信を老中に迎えたら、自分達はどんな憂き目に遭うかわかったものではない。定信の老中就任をなんとか食い止められないか、大奥総取締・高岳(たかおか/冨永愛)に相談した。
高岳は高岳で、意次とWin-Winの関係を保ち、これまでやってきたのだ。祖父にあたる8代将軍・吉宗に倣い、質素倹約第一の「木綿小僧」松平定信に実権を握られては、やりづらくなることは目に見えている。「では……」と、高岳は老中ふたりに策を授けた。
意次の江戸城復帰案である。
定信の妹・種姫が「民の不満が高まっているこのタイミングで定信が老中となったら、失政の槍玉に上げられるのではないか」と心配している、その意を受けた大奥としては、意次の謹慎を解くことを希望するというのが建前。老中らは、当面は「生贄として」意次を矢面に立たせるのが良策ではないかと治済を説き伏せる。
2万石と蔵屋敷を没収され、雁間詰(江戸幕府成立後に大名になった城主が勤める部屋)に降格となった意次が江戸城に戻ってきた。
ここから意次は、長年培った政治力を活かしてのしぶとさを発揮する。
御三家と御三卿
意次の謹慎を解けば、定信の老中就任がすんなり進むかと思っていた治済の予想は外れた。老中らは回答をずるずると引き延ばしたのである。
御三家と老中の間に立った治済は、能楽の宴席の場で尾張徳川・宗睦、紀州徳川・治貞らから「どうなっているのだ」とプレッシャーをかけられる。
演じられている能楽は『鞍馬天狗』。
源氏の忘れ形見・牛若丸に、鞍馬山の大天狗が兵法の極意を授け、平家を討ち滅ぼすよう告げる演目だ。子どもに敵討ちを促す──次期将軍の父である治済が主催する宴での演目だと思うと、なんとも暗喩的だ。治済は意次に「白天狗」と渾名をつけられていたし。
御三家にせっつかれた治済が老中に回答を催促したことを水野が意次にひそかに伝えた。
意次「来たか、この時が」「一気に攻め込むぞ」
意次は一体、なにを待っていたのか。
老中らは御三家と治済に、またも大奥から定信の老中就任に待ったがかかったと報告する。定信は10代将軍・家治の養女である種姫の兄であり、徳川将軍家の身内は老中になれない決まりがある、この決まりを作ったのは9代将軍・家重の遺言であるというのだ。
家重は治済の伯父に当たる。体が不自由で、上手く話せなかったという。そうした伯父を覚えているのか、治済が鼻で笑った。
治済「家重? そのような定めなど、わしが破ってよいと言っておるのじゃ。破れ」
紀州徳川治貞がこの言葉にピクリと反応した。治貞だけでなく御三家は「上様」「将軍」と口にするたびに、目を伏せ、礼をしている。その所作からは徳川将軍家への畏敬の念が窺える。将軍を貴ぶ治貞にとって、9代将軍を「家重」と呼び捨てにし、遺言を蔑ろにする発言は聞き捨てならないのだろう。
治済の傲慢な命令に、水野が「一橋様はどのようなお立場で?」と問うた。
ドヤ顔治済の「次の将軍の父じゃ」という答えに、老中ふたりは顔を見合わせ、御三家全員が呆れ顔となる。
尾張徳川宗睦「一橋殿。残念ながらそれ(将軍の父の立場)は、公に命を下せる立場ではないのだ」
治済は次期将軍の父ではあるが、幕政においてなんの権限もない。御三家は大名として領地を有し、それぞれ藩政に携わっている政治家であるが、御三卿は領地を持たず、ゆえに治済は政治経験がない。
この場において治済だけが幕府の仕組みを理解していないことが明らかになった。治貞の「見苦しい!」という一喝には、治済が幕政について何一つ学んでこなかったことへの叱責が込められている。
思えば、治済も哀れだ。徳川将軍家に世継ぎがいない時に備えて、男子を作る以外に役割のない御三卿。政に関わる機会を与えられないまま、これまで生きてきた。
だが、それはそれとして、だ。これまでの悪逆非道を振り返ると、どうしても言いたい。
大人げないことは重々承知で、一言だけご容赦いただきたい。
イェエエエエエエイ!! 治済が初めて叱られた!!!!
田沼意次、さすがのしぶとさ
治済に政治的能力がないと露わにすることこそが、意次の仕組んだ罠であった。
面会を求めてきた意次に対して、紀州徳川治貞はそれを看破する。意次は、定信を老中ではなく、次期将軍・家斉の後見にしてはどうかと進言した。
治貞「それは一橋の立場を無くせということか?」
意次「一橋様は政に関わったことがございません。さような御方を後見となさるのは、次の上様、ひいては徳川の世のためになるとお思いになりますでしょうか」
狙いは、一橋治済の次期将軍への影響力の無効化。政治的能力の無さだけではない。治貞は治済の将軍家への不遜な態度も目にしている。危惧されるのは、将軍である息子をないがしろにしての専横だ。
紀州徳川治貞は、意次の意見を受け入れた。
そして天明7年4月。家斉(城桧吏)は朝廷より将軍宣下を受け、11代将軍となる。老中には松平定信ではなく、田沼派の阿部正倫(須田邦裕)が就いた。
ここまではひとまず、意次が一本勝ち取った形である。8代将軍吉宗の時代から徳川幕府の中で生き抜いてきた男・田沼意次、さすがのしぶとさだった。
息子・家斉が将軍になったというのに、物事は想定通りに運ばない。このフラストレーションゆえか、治済は思いもよらぬ行動に出る。
お前、田沼の犬か?
政治が停滞しても、民衆は生きてゆかねばならない。
意次が謹慎している間、対象者が限定されていた生活困窮者へのお救い米は、意次が江戸城に戻った後の天明7年の正月には制限なしで配布された。
新之助の住む深川の長屋に、新年の挨拶として米俵と酒樽を持ち込んだ蔦重は、お救い米支給を目にし「やはり田沼様ってのは、頼りになりますね」と頷く。が、その一言がお祝いの空気を一変させる。
長屋の衆から次々と出てくる田沼への恨み、罵倒に蔦重は「けど、米が田沼様の謹慎が解けたら出たってことは、田沼様が米を出してくれたってことじゃねえですか?」と説くが、
長七(甲斐翔真)「お前、田沼の犬か?」
もはや理屈ではないのだ。意次を肯定するだけで剥きだしの敵意が向けられる。気色ばむ長屋の衆を収めた新之助が蔦重に、
「もうここには来るな」「(おまえは)吉原と、そこに落ちてくる田沼の金で財を成した。ひょっとすると田沼の世で一番なりあがった男かもしれぬ。ここへは来ぬほうがよい」
と忠告した。田沼憎しの江戸市中で蔦重がどう見られているかをはっきり言ってくれたのだ。
新之助は理性の人である。
蔦重が新之助個人に差し入れようとした米を「おふくととよ坊が亡くなったのは、俺が米を受け取ったからとも言える」と断った。おまえの差し入れのせいで妻子が死んだとは責めなかった。
理性と自制心を持つこの男が、うつせみ(ふく)と駆け落ちしたのだなあ。それほどに惚れて、吉原という地獄からうつせみを救いたくて動いたのだなと改めて感じ入った。
三浦庄司の本心は?
天明7年5月(1787年6月)。江戸市中では米価格が100文4合に跳ね上がった。
江戸時代の生活を記した『守貞謾稿』(天保8年~慶応3年)では、江戸では成人男性1人が1日5合の米を食べたとある。今までドラマ内でも描かれていた通り、白米中心の食生活だ。
100文がどれくらいの値段か目安としての例を出すなら、天明大飢饉前の1泊2食付旅籠の宿賃が、100文から200文である。この高騰ぶりが伝わるだろうか。
「このままでは生死に関わる」と、町民たちは町奉行所に訴え出る。その中には、新之助の姿もあった。そこへ届いたのが、大坂で起こった打ちこわしの報せだ。
打ちこわし騒動が江戸に波及するのを食い止めるため、意次は定信に米の援助を願い出る。天明6年の秋、東北地方は比較的米の収穫があった。だが東北は何十万人死んだのか把握できないほどの大飢饉を乗り越えたばかりで、天明7年は他地方へ米を回すことには消極的だったという。
定信が治める白河藩(現在の福島県白河市)も多少は米の余裕が見込めることから、意次は定信と交渉したのだ。見返りは、定信が将軍後見人となるよう意次が後押しすること。
米交渉は成立と見えた。意次との交渉後、定信は治貞に、
「励めども米は支度できぬ。ということも、あるのでございますよ」
と意味ありげに告げた。米を用意するというのはポーズに過ぎないということか。定信には、民のためよりも意次憎し、田沼意次を追い落とすことが優先されるのか。
いっぽう、耕書堂に三浦庄司(原田泰造)が飛び込んできた。意次が5月20日にお救い米を江戸市中に出すという報せを、読売(時事ネタの印刷物)にして広めてほしいというのだ。
この三浦の依頼は観ていて違和感を覚えた。意次は前々から、蔦重を政治から遠ざけようとしていた。陰謀の渦中に巻き込んだら平賀源内(安田顕)のように命を失うと危惧し、守ろうとしていたのだ。
三浦もそのことを承知しているはずだ。それなのに今回は、蔦重に意次の政策を広めよと言うのか。
27回(記事はこちら)のレビューで、三浦は治済と通じているのではないかと書いた。やはり三浦は治済の謀に加担しているのか、それとも主・意次に良かれと思って独断で蔦重に依頼したのか。
それはまだ不明だが、この32話では意次と三浦が話している場面がないことに胸がざわっとする。三浦さん、今も田沼家の家臣なんですか……?
考えていたらだんだん怖くなってきたので、次回あたりで「なぁんだ三浦さん、やっぱり田沼家ひとすじのおじさんだったんじゃん! 原田泰造が上手いから勘繰っちゃったよ!」と思わせてほしい。
正体は一橋治済
蔦重は、「5月20日にお救い米が出る、田沼様が米を出してくれる」と報せる読売を大々的に配り歩いた。100文3合にまで米が値上がりし、飢えに苦しんだ末の身投げまで出始めた江戸市中では、この読売に期待が高まった。
はたして、5月20日。お救い米は出なかった。奉行所に民が押し寄せ、口々に抗議と嘆願を叫ぶ。新之助もその中にいる。喧噪の中から、ひときわ高い声が響いた。
「米が無ければ、犬を食え? 犬を食えとは!」
正体不明の流民風の男が、奉行所の役人を指さして叫ぶ。それを受けて町民風の男が「まことか! まことにそんなことを言われたのか!」
蔦重だけが気がついた。後者は、平賀源内のもとに出入りし、意知の葬列に石を投げた「名前のない男」(矢野聖人)!
名前のない男は、葬列で石を投げた時のように民衆の怒りを煽る。
米が無いなら犬を食え。これは実際に、当時の町奉行だった曲淵景漸(まがりぶちかげつぐ)の放言として江戸市中に広まり、民の怒りを買った言葉だ。ただ、曲淵の放言は、いつ・誰に対して・どんな状況で言ったのかが不明であり、デマという説が有力である。
ドラマ内でも、他は誰も聞いていない筈の暴言を流民風の男が役人に言われたと主張し、そんなひどいことを言われたのか! と町民風の男が大声で広める。周囲の人々の怒りに火が着いて燃え広がっていく様は、今でいう「炎上」のようだ。
「犬を食え」は、新之助の怒りを堰き止めていた自制心をついに壊した。
長屋の衆を率いて武装準備をしようと引き上げていく新之助を止めるのは蔦重。
「待てば米が出るのに打ちこわしなんてべらぼうじゃねえですか」
民衆に殴る蹴るされながら叫ぶ蔦重に答えて新之助、
「おふくと坊は、世に殺されたと思うのだ。なぜ殺されたのだ、米がないからだ。なぜ米がないのだ、米を売らぬからだ。なぜ米を売らぬのだ、売らぬほうが儲かるからだ。なぜ売らぬ米屋が罰せられぬ。罰するほうが共に儲けているからだ」「みな金のことしか考えぬ。さような田沼が作った、この世に殺されたのだ」
米を売り惜しみして価格を釣り上げている商人は確かに存在する。しかし、大前提として天明3年の岩木山と浅間山の噴火による大凶作があった。農地を捨てざるを得なかった地方民が流入して、江戸の食糧事情が逼迫した。幕府は全国から江戸に米を集める政策を取ったが、それでは江戸以外の民が飢える。売らぬというより、売る米が足りない。
「売らぬ米屋を罰せず儲けている」と罵られる幕府にも、米価格を簡単に下げられない事情がある。武士の給料を米で払い、武士はその米を売って生活費を得るという江戸時代の特殊な経済ゆえに、米の値が下がれば今度は武士の暮らしが立ち行かなくなる。天災続きで米以外の物価も高騰している今は尚更だ。
大凶作以前からの幕臣の生活の苦しさは、13話(記事はこちら)の座頭金騒動などで描かれた。
米主体の経済から貨幣主体の経済へと切り替えを図った田沼意次は、金のことばかり考える悪徳政治家として民から憎まれている。
新之助の言葉は、真面目で聡明な人が正面から向き合い、考え抜いて得た結論だ。
それが必ずしも全て正しいとは限らない、また、そうした人でもデマに操られるのだと描かれるのが苦しい。
新之助「こんな世は糺されるべきだと、声を上げることも許されぬのか」
絞り出すような新之助の憎悪に、返す言葉を失う蔦重。
打ちのめされた蔦重を離れた場から眺めているのは、先ほど「犬を食えと」と声を上げた流民風の男。カメラが近づき、その顔が映し出されると、なんと一橋治済! その目は、前々から耕書堂・蔦屋重三郎という男を認識していたように思われる。治済は、奉行所前の群衆の中から蔦重を認識して、後を追ってきた。
直に見るのは初めてだろうが、治済は蔦重の存在を知っている──田沼意次に関係する人物として。では、一体、誰から蔦重の情報を得たのだ。名前のない男か、それとも別の人間か。
ところで、徳川一門の人間である一橋治済が流民に扮装して陰謀の仕掛人になるというのは、さすがにやりすぎではないかと思った。しかし、一橋治済が徹底的に悪役となっているこの大河べらぼうは、フィクションなんですよというメッセージにも思える。
御三卿の一橋家当主・治済が陰謀を巡らしたという歴史的な事実は全くない。
流民扮装の治済は「このドラマはフィクションです」テロップのようなものかもしれない。
我が心のままに
俺たちは声を上げることも許されぬのか、新之助の言葉を独り噛みしめた蔦重の脳裏に、在りし日の平賀源内の言「我が心のままに」が蘇る。
蔦重は、打ちこわしの支度をする深川の長屋、新之助らのもとに乗り込んだ。
声を上げるための武器、筆と幟の布を携えて。
蔦重「新さんは声を上げりゃいいです。我が心のままに。我儘に生きていいんだって、源内先生も言ってたし」
書を以て世を耕す。筆の力で世を豊かにする志を抱いた蔦重としての訴えかけだ。
新之助も、平賀源内の弟子だった男である。その意味はすぐに飲み込めた。蔦重は新之助らの思いを世に知らしめる幟を提供した上で、皆に約束させる。
誰ひとり捕まらない、死んだりしないことを。
蔦重「カラッといきてえじゃねえですか、江戸っ子の打ちこわしは」
新之助「喧嘩だな。打ちこわしが喧嘩なら、江戸の花で済む」「米を盗んだり、斬りつけたりしなければ、それは米屋との喧嘩で済む。大した罪にはならぬということだ」
新之助の目から憎悪が消え、理知の光が戻ってきた。江戸時代は10両盗めば死罪である。盗みの罪は重い。だが、打ちこわすだけならば、そこまでにはならぬはずだと踏んだのだ。
蔦重から筆を受け取り、新之助は思いの全てを書に託す。
勿視金可視萬民
為世正我々可打壊
(金をみることなかれ すべての民を見よ 世をたださんとして 我々打ち壊すべし)
漢詩の形を取ったのは、訴えたい相手が武士、すなわち幕府だからか。新之助の義を込めた、渾身の作である。その幟をはためかせ、長屋の衆は米屋の前に立った。
「我心のままに 喧嘩こそ江戸の花」と掲げた蔦重も加わっている。
天明7年5月、後の世にいう「天明の打ちこわし」。
江戸にて勃発。
次回予告。
「米が無ければ金を配ればいいじゃない」とは一体。大崎(映美くらら)があーんと口に入れようとしているの、手袋じゃないですか? 長谷川平蔵、ついに出動! 待ってくれ、蔦重。その土饅頭は一体誰の墓なんだ。「打ちこわしにて死者が出ましてございまする」最悪の一言。蔦重の肩に手をかけたのは、名のない男?
やめろ、俺たちの蔦重に触るな!
33話が怖いけど楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、渡辺謙、染谷将太、橋本愛、岡山天音 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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