『田んぼのまん中の ポツンと神社』えぬびい 著──土地に息づいてきたポツ神に心満たされる
文・本間美加子
昨年の夏から今日にいたるまで、日本中が米不足にあえいでいます。かく言う私も、スーパーマーケットのお米売り場に足を運ぶたびにしかめ面です。
「お米がなければパンでもブリオシュでも麺でも食べればいいじゃない」と、脳内の西洋貴婦人がささやいてきますが、そうは問屋が、いや米問屋が卸しません。生まれも育ちも米どころのせいか、白米を食べないと気力と体力がどうにもわいてこないのです。今はただ、今年の豊作と米価安定をひたすら願い、祈るのみ。
そう、米づくりと祈り。このふたつこそが、太古から日本の中心にあったのだと実感させてくれるのが本書です。
タイトルにもなっている「ポツンと神社」とは、田んぼの中にポツンと佇む小さな神社のこと。著者であるえぬびい氏の造語で、親しみを込めて「ポツ神(じん)」とも称しています。
ポツ神は地域の鎮守神(氏神・産土神)であり、その土地に暮らす人々のよりどころです。昭和中期以降の圃場(ほじょう)整備(農作業を効率的に行うために実施された区画整備)によって“ポツンと”する以前から、「豊作になりますように」「健康でいられますように」「災厄が降りかかりませんように」といった願いを、一手に引き受けてきました。本書はえぬびい氏が津々浦々のポツ神を訪ねた記録であり、田んぼの四季の変化を巡る風景記にもなっています。
はじまりは春。満開の桜のそばにまさしくポツンと佇むお社の姿に、思わずニンマリしてしまいます。圧巻の桜並木も見事だけれど、数本、もしくは一本桜の素朴な美とポツ神の組み合わせには、目と心を癒やす力が宿っているよう。ドローンによる空撮のおかげで、天上からすべてを見守る神様のような視点で風景を楽しめるのも新鮮です。
えぬびい氏が地元の方から伝え聞いたという、土地のいわれや伝承にも心惹かれます。古事記や日本書紀には登場しないけれど、確かにその土地に息づいてきたポツ神たち。なかには、ほかの地域の権現様と喧嘩をして相手の片耳を食いちぎった──なんていう、ワイルドすぎる神様も。
ページをめくるたびにびっくりしたり、郷愁を覚えたり、感心したり、(いい意味での)ため息をついたりと感情が忙しく、えぬびい氏の旅に同行しているような気分を味わえます。
どの季節のポツ神も田んぼも魅力的ですが、やはり圧巻は秋でしょう。実りのときを迎えた稲穂とお社の、なんとありがたいこと、そしてなんと美しいこと。大地と水の恵み、そして農家の方々の丹精があってこそ、お米が食卓に届くのだと改めて実感し、謙虚な心持ちになります。
「予祝」という風習をご存知でしょうか。農産物の豊穣を模擬的に示し、“予め祝う”ことで実現をはかるものです。本書の黄金色に染まるページも、予祝そのもの。「豊作をもたらしてください!」とポツ神たちに願いながら今日もまたページを開き、心を満たそうと思います。
『クロワッサン』1144号より
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