考察『光る君へ』まひろ(吉高由里子)、帝(塩野瑛久)に物申す!伊周(三浦翔平)隆家(竜星涼)兄弟の放ってはいけない矢…虚実が揺さぶる19話
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
一条天皇の信頼
右大臣・道長(柄本佑)の政権が発足。
一条天皇(塩野瑛久)から「そなたは関白になりたいのか」と問われ、きっぱりと「なりたくはございません!」。
関白は陣定(じんのさだめ/会議)に出られないからなりたくはない、皆と直接顔を合わせて議論し、帝の補佐役として政を行いたいのだと。
ただでさえ、現場主義の仕事人は好感度が高い。ましてや帝は、前の関白・道隆(井浦新)と母である女院・詮子(吉田羊)からそれぞれ「伊周(三浦翔平)を関白に!」「道長を関白に!」と責め立てられ、伊周からは(なぜ関白にしてくれないんだ……)と恨みがましい顔をされた後である。
道長のこの言葉は、帝に安心感をもたらし、信頼を得るのに十分な効果があったろう。
青春の終わり
惟規(のぶのり/高杉真宙)が借りてくれた「新楽府」(しんがふ)を熱心に写し取るまひろ(吉高由里子)と、その様子を呆れて見ている、いと(信川清順)の会話は、他人に理解されにくい趣味を持つ人と、理解しない家族との間で、交わされがちなものである。
「そんなに楽しいのですか?」
「楽しいというより、ためになるの」
肥前のさわ(野村麻純)が婿を取ったという報せが届く。「家のために婿を」と、いとがまひろを促している間に来た手紙である。さわは、婿を取ることで父の家にとって「どうでもいい娘」ではなくなったのだろうか。迎えた夫は、よい人だろうか。
境遇が変わっても彼女たちの友情は続くだろうが、青春が終わりを告げた。切なく思いながらも肥前で暮らす、さわの幸せを祈っている。
実資「そんな面白いことがあったのか!」
疫病が蔓延し、地方でも働き手が次々と倒れて産業が立ち行かなくなっているのだろう。伯耆(ほうき/現在の鳥取県中西部)と石見(いわみ/島根県西部)からの申し出を受け、租税の減免をしてはという帝のお考えに手ごたえを覚える道長。この帝ならば張り切ってお仕えする甲斐があるというものだ。
「帝は民を思う御心があってこそ、帝たりえる」
道長が言っている、これは中国の孟子、王道思想か。王道をゆく王者とは、徳によって仁政を行う者……2023年大河ドラマ『どうする家康』で、徳川家康(松本潤)が父と仰ぐ今川義元(野村萬斎)から説かれた教えである。
『光る君へ』では政に真剣に向き合う者は、中国の思想を学び、それを基により良き世を目指すとたびたび描かれている。
陣定で道長を罵倒し、その体に手を掛けた瞬間、華麗に躱されて床に這う伊周。政策を話し合う場において、ふたりの間で直接的な争いがあったことは実資(秋山竜次)が記した『小右記』にある。『小右記』では「皆、嘆かわしいことだと言い合った」と記されているが、ドラマでは「そんな面白いことがあったのか!」と実資が面白がってる。しかも、今日もやるかな? と期待しちゃってる。気持ちはわかるけれども。
『小右記』ではこの時、周辺にいた役人たちが壁の後ろに群がって騒動を聞いていたというから、ドラマ内の実資のように面白がって「次もやるかな?」という人もいたのではないだろうか。
『御堂関白記』への布石か
出世よりも、詩歌や和歌、管弦読書に勤しむ人生を望むよと、道長と斉信(金田哲)、行成(渡辺大知)ら友人たちを前に宣言する公任(町田啓太)。
関白だった父を喪い、出世コースが危ういのは伊周・隆家(竜星涼)と同じなのだが、もともと漢詩・和歌・管弦に才能があり、のちに「三舟の才」と自他ともに認める男である。こう言っても不思議ではない。
伊周の焦りようとのドラマ的な対比かと思うが、公任は陣定での騒動を目にしている。道長を敵に回さないように考え、牽制したようにも見える。わからない。彼の人生は先が長い。
そして、その公任からのアドバイス。行成はかつてまひろが行っていたような代筆を、内裏の女房たちから請け負っているのだと……当時、美しい字というのは大きな武器であった。女たちから貴族の男たちの情報、裏の顔を集める作戦だ。
ここから、行成が道長に日記をつけることをすすめ、国宝『御堂関白記』が生まれる展開は、古典文学好きとして飛び上がるほどアツいフィクションである。
行成「私は毎朝、前日に起きたことを書き記します」
藤原行成の日記は『権記』。当時のことが細かく記されていて『小右記』『御堂関白記』と並び、第一級の資料である。現存するのは全て書写されたもので、残念ながら行成の自筆日記は伝わっていない。
倫子は漢字が読めている
小麻呂ちゃん、久しぶり!(二代目?)
愛猫を抱き上げた倫子(黒木華)、広げて置いてあった道長の日記を覗きこみ興味深げに
「ふーん…」
あっ……倫子は漢字が読めている。今までドラマ内で幾度も示されているが、当時は漢字は主に公的な文書において男性が使い、仮名は私的な文、あるいは女性が使う文字だった。漢字ばかりの書物を読み書きするまひろは当時の女性として、かなりの少数派なのだ。
倫子はまひろに「本を読むのが苦手なの」と話していたが、読めないとは言っていない。倫子が夫の前でも『能ある鷹は爪を隠す』を徹底していた場合、もしや道長はこのことを知らないのではないか。「一通も文をやり取りしていない」ツケは、これからどんどん膨らんでゆくのでは。
今後、第17話(記事はこちら)のように「御所に泊まり込んで仕事していた」とごまかした場合、日記にはこうありましたわね?で追い込まれるかもしれないぞ、道長。
道長のために動ける男・俊賢
道長に命じられ、伊周と隆家兄弟を参内させるために働く俊賢(本田大輔)。目的のためなら誇りも捨てて中関白家兄弟をヨイショし、道長のために動ける男・俊賢は、道長の言うとおり、たいしたものだと思う。
彼の父、源高明を兼家(段田安則)ら藤原北家兄弟が安和の変で追い落としたのは、そこまでせねば安心できない人物であったということだろう。俊賢はその血をきっちり継いでいる。明子(瀧内公美)も兼家を呪詛をするという目的を達成したあとは切り替えが早かった。
源氏の血筋の面々、侮り難し。
この時代の母の教育
倫子、母・穆子(むつこ/石野真子)から大臣の妻としての心得を教わる。第13回(記事はこちら)でも触れたが、倫子のこの時代の女性としての強靭さは、母の細やかな教育によるものだという場面がたびたび出てくる。兄弟の後継問題といい、入り婿制度といい、母・妻である女性の身分と存在、資産が大きく関わってくるのだということも。
そういう意味では、不幸にして母・ちやは(国仲涼子)を早くに亡くし、女系から受け継ぐ資産も特にないまひろが、いかにしてこの社会で紫式部として名を残すかという物語でもあるな、と思って観ている。
まひろ、定子のもとへ
今週も、まひろに話を聞いてもらうために訪問する清少納言(ファーストサマーウイカ)。おかげでまひろが、世の流れや政治的な情報を得る展開になっている。
同時に、同じ情報に触れても、清少納言とまひろ──のちの紫式部の考え方と個性の違いがはっきり示される面白さがある。
そしてまさかの展開、まひろが内裏──中宮・定子(高畑充希)のもとへ。
さらさらと滑らかに歩く清少納言に比べて、正装に慣れておらず、どことなくガサゴソと歩を進めるまひろが微笑ましい。
そこに、嫌がらせの画鋲! 昭和の少女漫画を思い出す、古典的いじめ!……いや、この作品自体は平安時代が舞台なんですけどね。逆に時代を先取りしているというか。
『源氏物語』第一帖「桐壺」の、
「打橋渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ……」
(あちこちの廊下に、嫌なしかけをして……)
というくだりは、こうして紫式部が実際に経験した、見聞きしたことを書いたのかもしれない。登華殿に仕える者……間接的に中宮・定子(高畑充希)に対する嫌がらせなのか、それとも、清少納言個人が標的になっているのか。どうであれ
「そんなこと私は平気です。中宮様がお笑いになるのを見ると、嫌なことはみんな吹き飛んでしまいますゆえ!」
犯人に聞こえるよう、大声で述べる清少納言。苦しかろうが、辛かろうが。中宮・定子さまの笑顔が太陽のように明るく輝いていらっしゃれば、この世の隅々まで照らされる──『枕草子』のスピリットが表されているような台詞だ。
まひろが中宮に拝謁した直後、主上が真っ昼間からお渡り。
清少納言の「すぐお戻りになるから」に(……すぐなんだ……)と下品なことを考えてしまってごめんなさい。そして、しばらく待ったのちに、まひろと清少納言の前に戻る、帝と中宮。(房事の直後に、それと知っている人と対面して会話するってどんな感じなんだ……)と、再び下品なことを考えてしまう。本当に申し訳ない。
そして、帝に促されまひろが申し上げる、能力高き者が身分を超える機会がある仕組みがあればという夢。「新楽府」を読んだのかと問う帝にまひろは、
「高者未だ必ずしも賢ならず 下者必ずしも愚ならず」
「下々が望みを高く持って学べば、世の中は活気づき、国もまた活気づきましょう。高貴な方々も、政をあだや疎かにはなされなくなりましょう」
漢詩などの話題で盛り上がり、自分の意見が好意的に受け止められると嬉しくなって、つい余計な一言をぶちかましてしまう。帝の御前であろうと、まひろさんが通常運転です。
しかし、そのおかげで帝に藤原為時の娘・まひろが強く印象づけられた。
為時の昇進
主上のお口から出てくる「まひろ」の名に、完全に不意を衝かれて固まる道長に大笑いしてしまった。柄本佑は、この「思いがけぬ時に登場する元カノ・まひろ」に驚く芝居が毎回すごく上手く、面白い。
そして為時、無職からまさかの、従五位下の昇進へ。
藤原為時の任官については『今昔物語』と『古事談』にエピソードがある。
苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼
(寒い夜に耐えて苦学をしましたが報われず、血に染まった涙を流しております。人事発表の翌朝は、青空が目にしみます)
為時がこの漢詩を一条天皇に奏上し、帝はたいそう心打たれた。それを知った道長が彼を登用した……という。ドラマではまひろの帝拝謁をきっかけに元カレ・道長が為時を引き上げた。いとが「そういったことは惟規さまにおまかせして、姫さまはお家のために婿を」と無駄扱いした「新楽府」の書き写しが、見事に父のため家のためになったという仕掛け。
『今昔物語』や『古事談』の逸話だと、なぜ道長がこんなにも熱心に? と、なんとなくボヤけた動機を、フィクションとして「道長とまひろがソウルメイトだからですよ!」と力強く言い切った感がある。
花山院の忯子への思い
伊周が夢中で通う相手・光子(竹内夢)が住む屋敷──前の太政大臣・藤原為光邸の前に、牛車が停まっている。伊周はてっきり光子のもとに他の男が通い始めたと思い込み、弟・隆家に泣きながら愚痴ってしまった。実際には光子のもとでなく、妹・儼子(たけこ)に通っていたので完全に伊周の誤解なのだが。兄弟ふたりで押しかけることとなり、屋敷から出てきた男に隆家が矢を射かけた……その男とは。
おひさしぶり、花山院!
ちなみに、花山院が乗り込もうとした牛車には、巴紋が描かれている。もともと家紋は、平安時代に貴族たちが自分の牛車に、誰の車かわかるよう目印として大きく表示したのが始まりだとする説がある。都の道で牛車同士が行き交う際に、身分の低い側が譲るルールのためだとか。車につける車紋は身分によって違い、上皇、院の車には菊が描いてあったそうな。更には所有する車の形状や素材にも階級ごとに規制があった。
逆にいえば、身分の高い人間はあえてグレードの低い車を選べば、こっそりと人に知られずに外出ができたのである。
花山院は出家の身で、女のもとに通っているのは当時としても体裁が悪いため、お忍びであった。なので牛車もすぐにそれとはわからぬよう、皇族が乗るのに差支えないクラスと従者の数ではあるが、花山院とはすぐ繋がらないような紋の車を使っている。
そして、相手が高貴なお忍びであるので、光子も妹に通っている男がいるとは伊周に言わなかったのだ……それにしても、出家してなお通う女が亡き忯子(井上咲楽)の妹。花山院の忯子への思いは、相当なものであったらしい。
いくつもの要因が重なり、そして隆家が怖いもの知らずのやんちゃ野郎であるので、矢は絶対に放ってはいけない相手に放たれてしまった。
紫式部が清少納言に伴われて一条帝と中宮・定子に拝謁、政について物申すというぶっとんだフィクションの回だったが、公卿が女がらみで上皇に向かって矢を射かけるという、実際にあった事件と合わせて描かれたので、もう何があっても不思議じゃないですねという気になってくるのが面白い。
次週予告。
惟規が父・為時に祝いを述べている。国司に任官ですか。伊周と隆家の政治生命「終わりだな」。仲睦まじい一条帝と定子のこんな姿、見るの辛いよ! 貴子(板谷由夏)の嘆き。斉信から清少納言への忠告。女院の迫力「許すまじ!」。中宮様が刃物を振り回す、一体なにが! という緊迫した場面と、何故か両手に枝を持って隠れる清少納言とまひろコンビ。こっちも一体なにがあった。
第20話も楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。