【山田康弘さん×譽田亜紀子さん 対談】縄文という時代【2】
その精神文化を辿っていくことで、見えてくる現代社会が抱えるものとは?
撮影・柳原久子 文・一澤ひらり
分布が広い巨乳の山形土偶には、母親の強い思いを感じるんです。(譽田さん)
母乳は、地母神信仰と連動して、大地の豊穣と再生の象徴なのかも。(山田さん)
昨年、東京国立博物館で開かれた『縄文ーー1万年の美の鼓動』やドキュメンタリー映画『縄文にハマる人々』の公開など、今、縄文が脚光を浴びている。縄文研究の第一人者・山田康弘さんが、“土偶女子”の譽田亜紀子さんと、縄文人の精神文化、死生観などについて語り合いました。
山田康弘さん(以下、山田) 今日は国立歴史民俗博物館での対談となりました。この第1展示室は「日本の先史・古代」をテーマとした展示がされていて、今年3月にリニューアルオープンしたところなんです。後ろの大きなパネル写真は東京の緑川東遺跡の、大型石棒を伴った配石住居です。
譽田亜紀子さん(以下、譽田) ほぼ完全な形の石棒が4本横たわっていますよね。でも石棒って割られたり、火であぶられたりすることが多いとか?
山田 確かに多いですね。石棒は男性の象徴で、大地豊穣や生命の再生を祈るための祭祀具と考えられていますが、実際の祭祀のやり方は村や集団で違っていたのではないかと。
譽田 祭祀の均一化は不自然ですよね。現代の村祭りでも地域ごとに違うし、それが文化だと思うんです。
山田 縄文は地域性が豊かですからね。こちらに展示されている「子を抱く土偶」は、どう見えますか?
譽田 母子土偶ですね。授乳している姿として知られています。
山田 これまで僕は微笑ましい母子の場面だと理解していました。でも縄文時代の一般的な村を20人程度だとして、モデル的な人口構造を考えていくと、大人と子どもが半々、大人の男女が半々とすると成人女性は約5人。授乳可能な女性に限定すると、村内にひとりだけの場合が大いにありうる。つまり母乳が出ないと赤ちゃんの死に直結するわけで。そうすると、この授乳する土偶の意味が非常に重くなってくる。
譽田 同時期に子どもを産む人がいれば母乳も融通できるだろうけれど、そういう状況がないと深刻ですね。
山田 で、この土偶の見方が変わってしまった。生命のともしびを左右するような情念が入り込んでいるのではないかと。微笑ましい母子像というのは、男性目線にすぎなかったのかも。
譽田 土偶ってけっこう胸が控えめな表現が多い中で、山形土偶はおしなべて巨乳、しかも広く分布しているじゃないですか。赤ちゃんを育てたいという強い願いがあったんだろうなって、私は勝手に思っているのですが……。
山田 母乳は地母神信仰と連動して、大地の豊穣と再生に関わってくる感じがあるのでしょうね。ところで、見方が変わったという話に関連して言うと、「縄文人の一生」というパネルを今回製作したのですが、今まで石器作りは男性だけが描かれていましたよね。でも石器は女性も使うし、切れなくなったら刃部を再生しただろうし、女性にも作る技術があったのではないか。狩猟の場面でも男性しか描かれなかったけれど、女性もネズミやタヌキぐらいは弓矢で獲っていたのでは?と、女性史の先生に指摘されましてね。
譽田 縄文学者のイローナ・バウシュさんと話した時、「狩猟は男性というイメージが強すぎる。ジェンダーバイアスがかかっている」と言ってました。
山田 僕も今回展示をするにあたって、そのことにようやく気づかされました。
譽田 土偶は妊婦をモチーフにしていることが多く、祭祀に使われています。中でも有名なのが長野県の棚畑遺跡から出土した「縄文のビーナス」で、ここは黒曜石の産地です。“あのビーナスの村の黒曜石だから品質がいい”といった、ブランド価値が付いていたことも考えられるという話を聞いたことがあって衝撃的でした。つまり「縄文のビーナス」は村のアイコンになっていたのでは?ということなのですが。