【白央篤司が聞く「自分でお茶を淹れて、飲む」vol.13】坂本千明(紙版画家作家)“窮屈な作品”にならないように——お茶の時間で気持ちをリセットしながら
取材/撮影/文・白央篤司
Instagram:@chiakisakamoto
坂本千明さん宅のキッチンは2階にあった。窓からは公園が見えて、光もよく入る気持ちのいいロケーション。「冬の間は木々の葉がない分、光がよく入るんです。そのかわり冷気も入ってきて、1階の仕事場なんかものすごく寒いんだけど」と笑って教えてくれる。
坂本さんは厚紙で版を作り、版画を制作する人だ。その絵はとても緻密で、陰影に富み、鍾乳洞の泉みたいな静かで深い色に満ちている。この深みを出すために必要な集中力はきっと相当なものだろう……と想像したとき、制作の合間の休憩時間はどんなふうだろうと知りたくなった。そしてそのとき、お茶を飲んだりするのだろうか、とも。
「私、朝をしっかりと食べて、お昼は食べずに仕事を続ける、1日2食の生活なんです。3回食べるほど私の生活って“消費”してないな、と数年前に思って。気持ちも集中も途切れなくていいし、内臓的にも私はラクで」
お昼を抜いた分、大事にしているのがおやつの時間。14時頃に仕事を一段落させ、好きなおやつとお茶でひと息つく。和菓子の日もあれば洋菓子の日もあり、「お昼を食べない分、毎回真剣に選んでます」と目を細めつつ、きっぱりと言った。そのとき必ず、お茶を淹れている。
「元々はコーヒー派だったんですが、個展をやるとお茶を手土産にいただくことが多くて。あと中国茶と紅茶に詳しい友人がいて、彼女が時折お気に入りのお茶を送ってくれるんです」
「その友人が以前、すき焼きをごちそうしてくれたんですよ。とてもいいお肉だったので脂もしっかり。でも、彼女が出してくれた中国茶を飲んだら口の中がすっきりしたんです。『もっとお肉、食べられるかも』と思うほど(笑)。お茶ってすごい……と思いました」
興味が湧いて、中国茶や紅茶を飲む頻度が上がっていく。今は「好きな紅茶が切れそうになるとハラハラしてしまう」ほどになり、専門店で店員さんとやり取りを楽しみながら買うことも多くなった。おまかせで何か1杯淹れてくれませんかとお願いしたら、坂本さんは紅茶のニルギリを手に取った。
「このニルギリは強い主張がなく、飲みやすくて好きです。私はこれ、お菓子にもお米にも合うと思うんですよ」
いただいてみれば香りがやさしく、渋みや苦みもほんのり。確かに和食の後の一服にもすんなりなじんでくれそうな味わいだった。しかし坂本さん、日本茶は飲まれないのだろうか。
「実家は完全に日本茶の家だったんです。私、母が煎茶道の師範だったんですよ」
これは、びっくり。では坂本さんも小さい頃……
「はい、無理やり習わされました(笑)。おいしいお茶をちゃんと淹れたら本当においしい、って分かってはいるんです。ただ今飲みたくなるのは、3カ月に1度ぐらいですかねえ」
小さい頃に一生分の日本茶を飲んだのかもしれない、と言ってまた笑われた。
現在、夏の企画展に向けて作品を制作中。ちょっとスケッチをのぞかせてもらえば、豆大福やお皿、郷土菓子の南部せんべいなどが描かれている……!
「テーマが“〇”なんです、〇から想起されるものならなんでもよくって」と坂本さん。作家として自由に作品作りをする一方、イラストや本の装画仕事なども手掛ける毎日だ。着手から完成まで、基本ずっとひとり仕事。「描く」という時間は、坂本さんにとってどのような時間だろうか。
「つい根を詰めてしまいがちで、クタクタにもなります。お茶タイムがあるからリセットできるというか、助けられていますね」
でも基本的に楽しい時間、とすぐに続けた。
「だからやっていられる。ただ版画は工程がとても地道なんですよ、予想外なことも起こりがちで。最後の最後で刷り損じたようなときはくじけそうになることも。でも、私はその偶発性が好きなんだろうと思います」
失敗しないように、を大事にしすぎるとちょっと“窮屈な作品”になってしまう……という言葉がストンと胸に落ちてきた。坂本さんの絵にひそむ静かな迫力の理由が少し見えた気になる。ときに予想もしなかった良い刷り上がりになることも。「そのとき苦労は帳消しになりますね」と声を弾ませ、坂本さんはおいしそうにニルギリをすすった。
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