【エッセイ】わたしの京都、とっておき──文・渡辺 都(京都寺町 一保堂茶舖)
イラストレーション・川上和生 文・渡辺 都(京都寺町 一保堂茶舖)
三方を山に囲まれ、その中にたくさんのお寺や神社もあり、時間の流れに育まれた歴史の産物があちこちにちりばめられている……、京都はこんな街だと私は思います。古いものばかりでなく今のもの、現代的なものも存在しながら、でも何とはなしに『生活の匂い』もしてくる。ここに住まいながら、しかしその魅力を一言ではなかなか言い尽くせません。
そんな京都で私が一番幸せを感じるのは、京都御所のど真ん中の砂利の上に立って空を見上げること。そしてもうひとつといえば、住まい近くを流れている鴨川の二条大橋の上の歩道に立って北山あたりを眺めて、大きく深呼吸することです。
深呼吸をして目を閉じてみると、百年も二百年もそれよりももっと昔人たちも、こんな頑丈な橋の上からではなかったのでしょうけれど、同じように思ったかもしれないと想像する楽しさです。
最近は特に、古い木造のお宅が、あっという間に壊されて更地になり、またあれよという間に工事が始まりマンションや少し高層の建物に変身している……。このようなケースがよくあります。更地になってしまうとそこにどんなお宅があったのかすっかり記憶から消えているのが不思議です。でも、壊されていくときに、今までは見えなかったそのお宅の中庭や石の灯籠などを目にすることもあります。土壁の中の竹の骨組みなど目にすると、表通りからは全然見えなかったのにこんな風になってたのかあ……、と興味本位ではありますがしばし眺めてしまうこともあります。最近は郵便番号から検索するとうちの店舗の住所は「中京区常盤木町」と出るのですが、これほどわかりにくいものはありません。町名によってはうんと離れたところに同じ名前があったりするからです。グーグルマップで大丈夫とおっしゃる方もおいででしょうけれど、いわゆる碁盤の目になぞらえて作られた通りなので、昔からの通り名前で交差をするところからの方向を言う方がわかりやすいと思いますし、お歩きになってもその方が楽しいように思うのですがいかがでしょう。「上がる」は北に行くこと。「下がる」は南に行くことです。私など他の都市に行っても北に行くことを「上がって」なんて言ってしまうこともあるのですから、お恥ずかしいのですが。
さて、お話を戻して鴨川の眺めを大好きな理由をお話しましょう。北大路通あたりからずっと流れてくる川沿いには桜や柳が植えられています。雪柳やレンギョウも植えられていてちょうど3月の頃は次々と咲き始めるその色とりどりの季節の花が見事なのです。四季折々の自然が静かに、でも日々変化して住んでいる者たちに小声で教えてくれるのです。そしてそれは自然ばかりでなく、例えばお菓子屋さんを覗かれたら、少し先取りされたかもしれない季節の和菓子が並び、美味しそうに微笑みかけてくれます。八百屋さんの店先には蕗の薹や露地ものの野菜が並んでいます。温室でいつでも栽培され見かけてもあの旬の味や香りには勝てないでしょう。しかしその小さな店も昨今の経営的にはスーパーマーケットなどに押され気味です。
でも骨董品のお店を通れば季節の器やお軸が飾られていて謎解きのような気分になることもあります。お着物を扱っていらっしゃるお店も顕著ですね。ぶらりと歩くだけでも四季折々の季節を感じられるのは、やはり京都ならではと言えましょう。四季でなく二季になってきたのではと気象上の暑さ寒さをおっしゃる方もおいでですが、この街では、生活の中で春夏秋冬それぞれを五感で感じ、楽しめるように思います。
ところで、私どもが扱う日本茶もまもなく、四月になれば新芽が吹いてきて萌芽宣言があります。その後、春雨やあたたかさの中で育った新芽を立春から数えて八十八夜の頃から摘み始めて「新茶」の季節を迎えます。季節の青々しく若々しい味わいはこのもう少し先です。「とっておき」ってこれ!? と言われそうですが新茶のお話はおまけということで……。
『クロワッサン』1161号より
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