考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』決別の43話 恋心を美人画に託した歌麿(染谷翔太)に「お前、おきよさんみたいな人見つけたのか!」…べらぼうすぎた蔦重(横浜流星)
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
おていさん、体だいじにしてな
ナレーション「それは突然やってきたのでございます」
43話で描かれたのは決別。喜多川歌麿(染谷翔太)にとっては必然の、蔦重(横浜流星)にとっては突然の決別だった。
蔦重が吉原から請け負った女郎の大首絵の仕事を歌麿は黙々とこなしていく。
筆を運びながらも目を留めてしまうのは、モデルに指定された花魁でも看板娘でもない、恋心を表情に浮かべる通りすがりの女たちの顔だ。
そんな女たちをじっと見つめる歌麿のことを、蔦重は「ありゃ、いい女いねえか探してるんだよ」と、おきよ(藤間爽子)に代わる新しいひとを探しているのだと、妻・てい(橋本愛)に話す。
……あのねえ、蔦重……。歌麿の気持ちに気づかないとか勘違いするとかは、もう仕方がない。だからその雑な推測を、絶対に歌麿には言ってくれるな。
発注元の吉原の忘八たちは、完成間近な女郎大首絵を見て大満足、華やかなりしころの吉原の思い出話に花を咲かせる。
その間の歌麿の様子がおかしい。一応は皆に話を合わせているものの、どことなく冷めている。
不景気で寂しくなった吉原の様子を聞いた蔦重が「駿河屋兄弟がもっぺんあの頃の吉原を取り戻します」と歌麿の肩を抱く。歌麿はそれとなく身をかわすが、気に留めるものは誰もいない。
駿河屋の義兄弟、蔦重と歌麿の関係に亀裂が生じているとは想像さえされないのだ。
帰り道、荷物を運ぶのを手伝って耕書堂を訪れた歌麿は、出迎えたていの大きくなりはじめた腹に目をやる。
歌麿「蔦重、もうあの頃じゃなくてよかったこともあるよ。あの頃にはこんな幸せはなかったろ。女房もいて、子もいて」「おていさん、体だいじにしてな」
てい「あの……なにか変じゃありませんでした? 歌さん」。
歌麿がていに話しかけたことは、これまでほとんどなかったのではないだろうか。
違和感を察知して困惑するてい。だが、蔦重は気に留めなかった。
もうやめるんだ歌麿
独り自宅で女絵を描いている歌麿。
のちに『歌撰戀之部(かせんこいのぶ)』と名がつく5枚組の揃いもの、喜多川歌麿の代表作となる美人画だ。
「あらはるる戀」
「夜毎ニ逢戀(よごとにあうこい)」
「稀ニ逢戀(まれにあうこい)」
「深ク忍戀(ふかくしのぶこい)」
「物思戀(ものおもふこい)」
さまざまな年齢の女性の心の内の思いを、表情や仕草で表す5枚組。
「これで終わるか……」
歌麿は、もう十分だというように呟き、筆を置いた。
そこへ駆けつけたのは蔦重。歌麿が西村屋と組んで仕事をすると聞きつけ、事の真偽を確かめに来たのだ。
描き上げられた5枚組が、さては西村屋からの依頼かと焦る蔦重に、歌麿は微笑んで「これは蔦重にだよ」と手渡した。
本当は、心のままに描き出しただけで、蔦重に贈るとも決めていなかっただろう。ふと思いついたように見えた。安堵した蔦重に、これは何を描いたのかと訊ねられて、
「恋心だよ」「俺が恋をしてたからさ」
過去形なんだね、歌麿。蔦重に抱いていた恋心を美人画に託して表現し尽くした、それを手渡すことで長年の恋を完結させたのだね。
だが蔦重は思いっきり勘違いする。目を輝かせて笑顔で、
「お前、おきよさんみたいな人見つけたのか!」「いい人探してんじゃねえかと思ってたんだよ!」
……それだけは歌麿には言ってくれるなと祈ったのに言うんかい、べらぼうめ……。
蔦重を見る歌麿の、刺すような眼差し、そこからの呆れたような笑顔。
「どこの誰だ、橋渡しする」とまで安請け合いをして肩を抱く蔦重の陽気さと、もう身を避けることもない、されるがままの歌麿の虚ろな表情の対比に息が苦しくなる。
「俺、蔦重とはもう組まねえ」
ついに歌麿は別れを告げた。
驚いて問い質す蔦重に、看板娘シリーズ『難波屋おきた』についた自分の名前と耕書堂の印の上下だの、西村屋二代目万次郎(中村莟玉/かんぎょく)の企画が面白いだの、おそらくどうでもいいことを原因として挙げている。どうせ本当の理由はわかりっこない、蔦重には辿り着けないのだからとばかりに。
自分を失いたくないとかき口説く蔦重を一度は見てみたかったのか……望んでもいない無茶、関係を破綻させるための主張。こんなの自分が傷つくだけでしょう、もうやめるんだ歌麿。
「蔦重はいつだってそうだ。お前のためって言いながら、俺のほしいものなんて何ひとつくれねえんだ」「おていさんと子、とびきり大事にしてやれよ」
この捨て台詞まで、歌麿の心理描写が非常に繊細だった。
染谷将太の名演に引き込まれる。
どうかおていをお助けくだせえ
蔦重は驚くほど潔い。
謝罪と感謝の置き手紙を残して歌麿の家を去ったのだ。
理由はわからないが自分は歌麿を深く傷つけ続けたようだ。これ以上傷めつけてしまわないよう離れなければとすぐに判断したというのが、なんとも蔦重らしい。
だが、20年間義兄弟として歩んできた歌麿と袂を分かつ辛さが帰り道の足取りを重くする。
「恋心」5枚組を手に、降りしきる雨を見つめる蔦重。べらぼうな鈍感さは罪作りだが、悪ではないゆえに傷心の姿が辛い。
耕書堂に戻った蔦重から、歌麿から絶縁されたと聞き、絶句する耕書堂の面々。
そこに、ていを襲う痛み。苦痛に倒れ込む身重の妻の姿に取り乱す蔦重。
駆けつけた産婆(榊原郁恵)の「産んじまうしかないね」は、赤子の命は諦めろという宣告であった。
たか(島本須美)も「産んじまいましょう、素直に産んじまわないと、お嬢様もどうなるかわかりませんよ」と必死に呼びかける。医療体制の整っていない江戸時代である。これまでも出産で多くの命が失われていることが、年配の女性たちの台詞で察せられた。
付き添う蔦重に、ていは苦しみの中で「子を育てる喜びを旦那様に差し上げたいのです」と悲痛な声で訴える。
我が子を喪うよりも深い悲しみはこの世に存在しない。
それが蔦重とていを襲うとは、なんと惨い展開だろうか。
「どうかおていをお助けくだせえ」「『竹取』が三月で大人になったみてぇに」
『かぐや姫』になぞらえて、妻子の無事を神仏に祈る蔦重。
必死の祈りは叶えられるのか──。
嵌められた定信
一方、江戸城。
いやいや、おていさんはどうなったのか。気が気ではないが、場面は江戸城に移るので、老中首座・松平定信(井上祐貴)に触れておこう。こちらの雲行きも怪しい。
定信は11代将軍・家斉(いえなり/城桧吏)からこんな相談を受ける。
父である一橋治済(生田斗真)から、そろそろ将軍主導の政をするべきだという指示を受けたが自分は政に興味がない。定信にこの先もずっと政治を任せる手はないだろうかというのだ。
家斉はこの寛政5年(1793年)で20歳。
定信自身、老中と兼任している将軍補佐という役職をそろそろ解かれると思ってはいただろう。将軍の申し出は願ってもないことで、渡りに船だ。
定信は将軍補佐を辞して大老(たいろう)になる計画を立て、徳川御三家・尾張徳川宗睦(むねちか/榎木孝明)に後押しを願い出た。
大老とは、江戸幕府において最高職である老中のさらに上。臨時に置かれる役職で、複数人で構成される老中に対して、大老は1人だけだ。
また、幕政の一切を取り仕切る老中と違い、大老は外交や将軍の継承問題など、国の行末を左右するような重大事に関わる。
大老に任じられれば、将軍の年齢に関わらず幕府の頂点で政を動かせるのだ。
宗睦は「妙ではないか? 上様はそなたを煙たがっておった。それなのに急に」と疑念を呈するが、定信はオロシャ(ロシア)の脅威から自分が重視されているのだと解釈していた。大老就任という野心を燃やし、寝る間も惜しみオロシャとの外交問題解決に奮闘する。
幕府はオロシャの船が送り届けた漂着民、大黒屋光太夫と磯吉2名を松前(北海道松前郡)で引き取り、使者・ラクスマンには信牌(しんぱい/長崎への入港許可証)を渡してこう説明した。鎖国している日本では、オランダと清国のみ通商している。外国船は長崎港に限り入港と通商を許しているから、引き続き通商交渉をするならまず長崎に来てくれと。
ラクスマンは信牌を受け取ったものの長崎には寄らず、そのままオロシャに帰っていった。
ちなみに大黒屋光太夫と磯吉はこの寛政5年の9月、将軍・家斉の上覧のもと聴取を受ける。ふたりは幕府から江戸番町に居宅を与えられ、そこで暮らして波乱の生涯を終えた。光太夫の語った海外情勢は、蘭学者・桂川甫周によって『漂民御覧之記』(寛政5年/1793年成立)『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』(寛政6年/1794年成立)にまとめられ蘭学の発展に寄与した。ラクスマン来航と光太夫に聴取した内容から幕府は海防政策の必要性を認めこれを実施、強化してゆくことになる。
オロシャ船来航事件の収束を将軍・家斉に報告した定信は、一通の書を将軍に奉る。
家斉「これは例の、アレであるな」
アレとは。この後の場面から鑑みるに、将軍補佐および老中首座辞職願だろう。
定信から辞職を願い出て将軍がそれを受け入れ、代わりに大老の任を命ずる──これが定信と家斉が示し合わせた作戦だ。
作戦実行の朝。
定信は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の眠る日光東照宮に向かって手を合わせる。
傍に控える側近・水野為長(園田祥太)は主人を誇らしく見上げた。
水野「いよいよ大老、これよりは更なる高みより政をなさるのでございますな」
定信「いささか不敬ではあるが、将軍になったつもりでことに当たろうと思っておる」
水野「大権現様(東照大権現/徳川家康)も殿こそがふさわしいとお認めになったのでございましょう」
少年時代から長年支えてくれた水野の肩に手を置き、お前のおかげだというように感謝と労いの目で見つめて、「参る」。定信は登城した。いざ大老へ、この国の政の頂点へ。
だが将軍・家斉の口から出たのは、大老就任の命ではなかった。
提出した辞職願に間違いはないかと定信に確かめた上で、
「では、将軍補佐および老中の役を許す(解任する)こととする」
「これよりは政には関わらず、ゆるりと休むがよい」
愕然とする定信。見回すと将軍・家斉も後ろに控える老中たちも自分をせせら笑っている。
嵌められた──。
同席した尾張徳川宗睦だけが、やはりそうであったかという表情で、定信以外に難しき形勢を乗り切れる者はいまいと一応の抵抗を試みる。
しかし老中らは口を揃えて、定信のおかげで尊号一件問題もオロシャ問題も片付き、幕府の財政も立て直された、もう何も問題はないと誉めそやすのだった。
怒りに震える定信に、
治済「越中。上様のため、徳川のため。まこと我が息子のため。ご苦労であった」
下城する定信の耳に届く嘲笑。
例の布団部屋で独り忿怒の涙を流す。
しかし、厳しい政治改革にうんざりしていた江戸っ子は、この失脚を大歓迎した。
天明7年(1787年)「あの名君・吉宗公のお孫様が老中となられたよ!」という読売に大衆が湧きかえってから6年。同じ読売が失脚を報じ、それに皆が大喜びする皮肉。
失意の定信を訪ねてきた人物がいた。
それは、元大奥総取締・高岳(たかおか/冨永愛)! ご無沙汰しております!
何の用だと問う定信に高岳が取り出して見せたのは、なんと。
33話(記事はこちら)で大崎(映美くらら)が「調べてみましょうか」と言外に脅迫した「死を呼ぶ手袋」! えーっ。まさかここで、このアイテムが再登場するとは。
同じ頃、大きな凧を背負った旅がらす(井上芳雄)が江戸にやってきた。
ここから流れを変える、新たな風が巻き起こるのか。
暗い耕書堂、位牌を前に憔悴しきった蔦重……おていさんはどうなったの?
次回予告。錦絵を引き裂く歌麿。旅がらすが耕書堂にやってきた。七ツ星の龍! 定信と三浦庄司(原田泰造)の邂逅、定信が田沼意次(渡辺謙)を陥れた陰謀の真相に迫るのか。
てい「源内先生(安田顕)が実は生きていると」。おていさんの眼鏡、手拭いと湯呑・水差しと一緒に枕元に置いてある。おていさん、生きてる? えっ源内先生も生きてる?
まったく先が読めない44話。とても楽しみです!
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、古川雄大、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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