【承香院さんの五感で楽しむ平安ガイドvol.5】生活を彩る小道具しても欠かせなかった扇
撮影・青木和義 構成&文・中條裕子
今では美術品として扱われる平安時代の扇だけど
扇といえば暑いときにあおいで涼を得るもの、今の私たちにはそんなイメージだが、平安貴族にとっては風を起こすだけではなく、装飾品、贈答品、歌やメモを記すものとしても、なくてはならない必需品だった。たとえば、あまり大っぴらに姿を見せることのないやんごとなき姫君が、顔を覆い隠す小物として描かれている場面もよく見かけるが……。
扇というと扇子やうちわのようなもの? と想像するけれど、その原型は奈良時代や平安初期にもあるのだという。
「平安時代の扇にも種類があり、上の写真は蝙蝠と書いて〈かわほり〉と読ませるものです。下の三つは、私のコレクション。四天王寺に伝わる扇面古写経(せんめんこしゃきょう)という、下絵の上に経文が書かれた平安時代後期のお経の模本を扇として新しく仕立てました」
この下絵がまた興味深いのだ、と承香院さん。三つの扇面の下絵には当時の暮らしぶりが生き生きと描かれており、眺めているとわかることがいろいろあるという。
「たとえば、真ん中の扇。平安時代のマーケット、市場の様子が描かれています。干物のような魚や瓜が売られており、頭の上にモノを載せて運んでいる女性がいたり、幼い子供は下半身もほぼ裸だったり。当時の風俗がすごくよくわかるので、平安時代を分析するのに大変参考にしています」
よく見ると市場に買い物に来ているさまざまな人がいたり、とても生き生きとした描写が印象的です。
「右の扇の下絵では、男性貴族が女の子に手紙か物語かを読んであげている。女の子はうっとりとして『続きは?続きは?』といった表情で聞いています。梶の葉が描かれているので時期的には七夕の頃かと。左の扇の下絵に描かれた女性は、今の日本では廃れてしまっている技術ですが、柳の木に糸から作った紐をひっかけて組紐を編んでいる。そうした絵とお経が一体になっているというのもおもしろい」
扇としての仕上がりを想定した、絵や文字のバランスの妙
この右の扇では、下絵の背景が黒い部分には文字が金で書かれていたり、下にいくほど文字のサイズが小さくなっている。絵も水平ではなく、扇の形に合わせてバランスよく描かれているところに「うっとりします」と、承香院さん。
「骨の片面だけに紙を貼った扇〈かわほり〉は、本当に蝙蝠=コウモリが羽を広げたかのよう(別の説もある)。下の写真、右側の扇は今と同じく、骨の表裏両面に紙を貼っています」
右の扇に描かれているのは片輪車〈かたわくるま〉。水の中に牛車の車輪が浮いているというデザインだが、これが平安時代に大流行していたのだとか。
「文箱だったり、ちょっとしたところに使われていて。私も貴族の愛した意匠と聞いて興味をもち、集め始めています」
元々はメモ代わり!? 後に貴族の必需品となった檜扇〈ひおうぎ〉
そして、下の写真は檜で作られた檜扇〈ひおうぎ〉。
「元々は奈良時代にメモ帳として使っていたみたいです。紙が高価なので役人たちが薄く削った檜の板に文字を書きつけていて、それを綴じたのが始まりだと言われています。連綿と平安時代まで使われていまして、枕草子でも檜扇は唐絵がいい、無地がいい、と清少納言がお気に入りのデザインをあげているんですけど、これは無地のもの。まあ確かにメモノートにも使えますね(笑)」
和歌を書いて贈ったり、花をのせて贈ったり、コミュニケーションの道具としても活躍することになった檜扇。その後、時代がくだると、扇面にさらに豪華な絵が描かれるようになり、装飾品として貴族の必需品となりました。
人前で顔をあらわにすることが憚られた時代のファション小物!?
そして、檜扇は平安の世で人前に姿を見せることのない深窓の令嬢が顔を覆うもの、というイメージも。絵巻ものなどでもお馴染みな光景です。
「そう、私はちょっとフォーマル度が高いのが檜扇かと。こちらは飾りがついて山桜が描かれている。本来は裏表で絵柄が対になっていたのだと思います」
今となっては暑さをしのぐ道具として、扇子やうちわよりもハンディファンの出番のほうが多くなっているかもしれない……そんな存在の扇。けれど、平安の世に思いを馳せると、この夏からもっと活躍させたくもなる。
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