考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』9話 瀬川(小芝風花)「この馬鹿らしい話を重三がすすめてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ」重ねた手の温かさが唯一の…
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
新之助の相談
第9話は、遊郭・吉原が「苦界」と呼ばれる意味を改めて思い知らされる回となった。
すっかり吉原の名物となった、五代目瀬川(小芝風花)の花魁道中。彼女を一目見ようと、外から女郎買い以外の見物客も詰めかけている。そう、市井の女性と思しき姿が画面にいるのだ。
「つたや」の前に列を成しているのは、女切手と呼ばれる通行手形を発行してもらうのを待つ女性連れの客達である。いま吉原は「玉菊燈籠」の催し中。享保年間の太夫(遊女の最高位)・玉菊を偲んで、盂蘭盆会に各見世が軒先に燈籠を掲げる、江戸の風物詩だ。普段は男性客しか入れない吉原だが、こうした年中行事の期間は、女性も訪れることができた。
女性が大門を出入りするのに必要な女切手は「つたや」のように、大門より手前にある五十軒茶屋で発行された。五十軒茶屋が「切手茶屋」とも呼ばれるのは、この切手の発行を吉原から委託されたことによる。
燈籠が掲げられ、よりいっそう華やかに彩られた仲之町を、瀬川の花魁道中が進む。見物客の目を一身に集めるその姿に、花の井時代を知る新之助(井之脇海)が「見違えたな」と驚いた。その言葉に蔦重も誇らしげだが、瀬川が迎えに来た客を見てふと表情が変わる。
引手茶屋・駿河屋の軒先で待っていたのは鳥山検校(市原隼人)。瀬川に声をかけられると、
検校「遅かりし由良之助」
瀬川「ふふっ。御生害(切腹)には間に合いんしたようで」
人形浄瑠璃、歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』で、切腹前に塩冶判官が大星由良之助を待ちわび、腹を切った直後にようやく由良之助が到着する。この場面から生まれた「待ちかねたよ」を表す言葉である。
粋な会話、大金持ちの美丈夫、なによりも瀬川の商売抜きの嬉しそうな笑顔。それらを目にした蔦重は、己の中に芽生えた気持ちを掴みかねて困惑していた。
江戸川柳「三会目箸一膳の主(ぬし)となり」
鳥山検校は、3回通って瀬川の馴染みとなった。馴染みとなるとその客専用の膳台と象牙の箸が用意され、女郎と客は疑似夫婦となるのだった。本来なら心浮きたつもてなしの場だが、検校は瀬川の声にわずかに含まれる憂いを聞き逃さない。気晴らしに面白いものを見せてやろうと、禿と新造に周りを巡らせる鬼ごっこ。見えていない筈なのに、検校はそこに誰がいるのかを次々と当てていく。
瀬川は驚いて笑っているが、3回目だというのに禿、新造の名と声と気配を完全に覚えて聞き分けている検校の鋭さと怜悧さは、ちょっと怖いくらいだ。
鳥山検校を「稀に見るよい男だ」と褒める瀬川に、松葉屋の女将・いね(水野美紀)が「その言葉に裏はないかい?」と確かめてから、検校から身請け話が来ていると持ち掛けた。
そして蔦重も、それを忘八連合の会合で知る。身請けのための身代金として提示された額は1000両。江戸時代の貨幣を現代の円に換算にするのは難しいが、ごくざっくりと1億円くらいだろうか。
ショックを巧く隠すこともできない蔦重が「つたや」に帰ると、義兄の次郎兵衛(中村蒼)が新之助を前に心地よさげに熱唱していた。視聴者が情緒の荒波に揉まれ続ける9話の42分35秒のうち、唯一ホッとする時間を提供する貴重な存在、それが次郎兵衛である。
新之助が蔦重に相談ごとがあると切り出したのは馴染みの遊女・うつせみ(小野花梨)の身請けについてだった。蔦重に、大見世の座敷持花魁であるうつせみの身代金は300両だと聞かされた新之助は仰天する。吉原の遊女の年季明けは、原則として27歳。親の借金のために給料を見世に前借していて、さらに遊郭での衣食住は全てそこに上乗せされている。身請けする客はその借金の残高に、本来なら年季明けまでにその女郎が稼ぐであろう金額として楼主の言い値を足して支払うのが通例であった。
新之助がうつせみの身請けを思い立ったのは、彼女に酷い客がついたことが原因だった。新之助に逢いたいあまり、身揚がり(自分で自分を買う金を工面すること)の金を稼ぐため、嗜虐行為を強いる客を馴染みとして受け入れてしまったのだ。客がうつせみに強いているのは「起請彫(きしょうぼり)」と呼ばれる、本来は愛を誓う相手の名前を「〇〇サマ命」と刻むものだ。どちらにしても遊女の体に傷をつけることは、見世としてはNG行為にあたる。いや、そういうことではなく、だ。ごめんなさいね、ちょっと叫びます。もう我慢ならん。
長サマだか腸サマだか知らねえが、この野郎の額に「クソ客」と刻んでやれ!!!!!
新之助は、こんな現状からなんとかうつせみを救い出したいと身請けを考えたが、300両など到底手の届かない大金だ。
新之助「花魁にとって金のない男の懸想など、幸せになる邪魔だてでしかないのかもな」
肩を落とす新之助の言葉を受けて、初めて蔦重は自らの思いに向き合うのだった。
言っちゃえ、瀬川!
蔦重は、九郎助稲荷の境内に瀬川を呼び出し、身請けを思いとどまらせようと説得を試みる。いわく「いま五代目瀬川に引退されたら吉原に客を呼べなくなるから困る」、「相手が検校だなんて身請け相手を妥協することはないだろう」など。
そうじゃないだろう、蔦重……お前が言うべきことはそれじゃないだろう。じれったく思いながら二人を見守る視聴者の我々は、九郎助稲荷様の狐像と一心同体だ。
憎からず思っている鳥山検校をけなされた瀬川は憤る。
瀬川「鳥山様は素敵な方でござんすよ」「顔も見えぬのに人の機微も察せられんす。それこそ目あきの男の倍も、百倍も」
私の気持ちに気づかないお前みたいな鈍感野郎とは違うのだという、これは瀬川から蔦重への愛の告白同然なのだが、それでも蔦重はこの意味がわからない。まことにべらぼうな鈍感ぶりである。
蔦重「(検校に)惚れてんのか?」
嫉妬のあまり飛び出してしまうガチガチの差別発言、身請けされたら江戸中の笑いものになる、高利貸しで、蛭のような連中だと。前回(記事はこちら)、地本問屋・鶴屋喜右衛門(風間俊介)から外道と差別された吉原者である蔦重が、検校を差別する様に苦笑するしかない。毎週、清濁が怒涛のごとく混ざり合う大河である。そして蔦重のこの言葉に、瀬川はキレた。思い切り言っちゃえ、瀬川!
瀬川「あんただってわっちに吸い付く蛭じゃないか!」「客呼ぶために身請けを蹴れと……わっちに客取り続けろって言う!」
蔦重「……行くなよ。頼むから行かねえで」「俺が! お前を幸せにしてえの!」
ついに蔦重から本音が出た。ここで瀬川の胸の高鳴りのように響く明るいBGMがいい。「どうやって幸せにしてくれるっていうのさ」と問う瀬川に蔦重、「そりゃ……どうにか」。
ノープラン! バカ! しかし、そりゃそうだ。女郎の幸せとはなんなのか模索した結果、『女重宝記』を渡すような男が、たったいま己の気持ちに気づいたばかりなのである。そこでようやく出てきた答えが「年季明けには請け出す」。瀬川が年季奉公を満了した暁には妻とすると。
瀬川「心変わりなんてしないだろうね!?」
蔦重「あたりめえだろ! 俺は自分の気持ちに気付くまでに20年かかってんだぞ 心変わりなんてできっかよ」
胸ぐら掴んでの喧嘩腰。からの、ふたりで泣きながらの照れ笑い。熱く明るく、清々しい。
吉原者として恋を奪われた蔦重が恋する心を取り戻し、瀬川が生まれて初めて真実の男の愛を得た場面だった。
横浜流星と小芝風花の熱演、名演に拍手。
いねの眼力
瀬川は、鳥山検校の身請け話を蹴る旨を松葉屋主人・半左衛門(正名僕蔵)と女将・いねに伝えた。
瀬川「ここで断ったほうが『瀬川』の値打ちが高まりんすかと。1000両でも、金では転ばぬと」
吉原を代表する遊女名跡の一つ・三浦屋の高尾太夫、その五代目(六代目の説あり)は染め物職人・紺屋九郎兵衛に請け出されたと、享保5年(1720年)成立の随筆『洞房語園(どうぼうごえん)』が記す。吉原最高職の太夫が一介の職人の妻になったことが江戸の大評判となり、古典落語『紺屋高尾』のモデルとなった。
江戸っ子は、こうした意気と張が大好きだ。
しかし瀬川の理屈は、身請けの打診をされた時点で持ち出さないと筋が通らない。身請け話を受けるよう説得しようとする半左衛門を制して、瀬川の申し出に「よーくわかったよ」と頷く女将・いね。瀬川の変心を、ありゃ間夫ができたんだと見抜いたのだ。その証拠を掴もうと、密偵として遣手・まさ(山下容莉枝)を使い、よく行っていた九郎助稲荷に瀬川が足を向けなくなったのが何よりもの証拠と看破する。その眼力、さすが吉原イチの大見世、松葉屋を長年仕切ってきただけのことはある。
しかし、その動きを察知した瀬川も蔦重も恋仲になったとバレないように用心している。
そうこうするうちに、鳥山検校に身請け話が難航していることを悟られそうになった。もう悠長には構えていられない。松葉屋夫婦は腹をくくった。
忘八夫婦の連携
そこからの松葉屋夫婦の動きは早かった。瀬川に一日に五人の客をつける。瀬川と寝られるならいくらでも積むという客を、全て一気に取らせることにしたのだ。五代目襲名の際に吉原の関係各所に配った祝儀金、着物、かんざし、調度品諸々の借金がかさんでいる。やはり、前回のレビューで案じたとおりだった。
身請けで1000両作らないのならば、さっさと自分で返せという意向である。
四代目瀬川と同じように自分を追い込むつもりかと抗議する瀬川に、いねは、身請けされてすぐ自害するなんて、あれは松葉屋の大名跡「瀬川」を潰した迷惑千万の馬鹿女だと切って捨てる。
四代目を悲劇の主人公と捉え自分と重ねるなどもってのほかだと。いねは容赦がなかった。
半左衛門もまた容赦がない。蔦重に、客を取らされている瀬川を見せる。他の男に抱かれる姿を蔦重が目にしていることに、最中の瀬川も気づく残酷なやり口。
半左衛門「お前さんはこれを瀬川に、年季明けまでずっとやらせるのかい」
忘八夫婦のむごい連携である。
ただ、ふたりの行動を斟酌したい点もある。
いねの小さな溜息まじりの「もう、やるしかないかね」、蔦重に声かけをした後、半左衛門が煙草入れをキュッと取り出す所作。
こうした松葉屋夫婦の小さな台詞と細かな芝居から、ふたりがこの悪趣味な作戦をできればやりたくない、しかしやるのだという苦々しい決意が伝わる。
そしてこれが若いふたりにもっとも効くと判断するのは、かつていねが花魁であり、半左衛門が花魁時代のいねに恋心を抱いた男だからではないか。半左衛門の「気持ちが入っちまうと聞こえ方が違うか」は、自分もかつて経験したからこその台詞ではないだろうか。
忘八ではあるが、幾たびの苦い夜と、重い仕事を乗り越えてきた夫婦でもあるのだ。
足抜け決行
蔦重は瀬川への思いを断ち切るのではなく「この仕事から救ってやらねば」の方向に舵を切った。玉菊燈籠見物でやってくる女性に出す女切手を瀬川に渡して連れ出す作戦だ。
同じ企てをした男がもうひとり、新之助である。女切手を首尾よく入手し、うつせみを市井の女性に変装させて足抜けさせる。
今週の尾美としのりは、ここ。大門から入る新之助とすれ違う。夜は玉菊燈籠見物客で混み合うからか昼見世に行っていたようで、ごきげんで帰ってゆく平沢常富(尾美としのり)。はっきり映っているが夏なのでトレードマークの派手な羽織を着ておらず、見落としやすい。
九郎助稲荷境内で打ち合わせができない今、どうやって瀬川に足抜けの計画を伝えるか。蔦重は悩んだ挙句、閃いた。
女切手に「しお」と書く。幼い頃に重三があざみ(瀬川)に渡し、彼女が今も宝物として大切にしている赤本『塩売文太物語』は、塩売りの娘「小しお」が、悪い金持ちとの結婚を嫌がって商人・助八と駆け落ちする話だ。
「しお」、駆け落ち、更に女切手の日付は七月二十八日……つまり足抜け決行はこの日の夜。瀬川ならきっとわかるはずだと、蔦重は貸本に女切手を挟んだ。
「わっちはただ、幸せになりたくて」
一足先に足抜けしたうつせみと新之助は、あっさり捕まった。
遊女の足抜けの成功例は、ほぼなかったという。江戸市中を探しても見つからない場合は、飛脚問屋などに協力を求めて捜索する。連れ戻された遊女には捜索にかかった費用がこれまでの借金に上乗せされ、ペナルティとして年季が延長されるケースもあった。ごく稀に逃亡が成功した場合でも、女郎の兄弟が残りの借金を見世の下男として働き、返済した例がある。
女郎の逃亡は、見世にとっては経済的な損失である。他の女郎の逃亡を誘発しかねないために徹底的に探し出され、連れ戻した際は見せしめにする必要があった。
うつせみは松葉屋の女郎たちの前で折檻を受けた。「わっちはただ、幸せになりたくて」。その悲痛な言葉に、聞いている女郎たちの呆れ顔、同情の表情。秘めた恋をして、足抜けは他人事ではない瀬川──。うつせみにも瀬川にも、いねは現実を叩きつける。
いね「追われる身になってどこに住むんだい! 人別(戸籍と住民票)は、食い扶持は、どうすんだい!」「あんたを養おうとあいつは博打。あいつを養おうとあんたは夜鷹(街娼)。それが幸せか!」
同じころ新之助は切腹を試みていた。「痛っ」じゃないんだよ。雑な計画を立ててからに。この場面では蔦重が「うつせみは死なねえですよ。吉原は女郎を殺したりしません」と新之助の自害を止める。これは彼への気休めではない。足抜けした女郎をわざわざ連れ戻して殺したりしたら、それこそ見世は丸々大損である。更に、松葉屋のような大見世で女郎を殺したという噂が流れたらイメージダウンになり、大通(大金持ちの常連)を逃してしまう。
ただ、苛烈な折檻が行われていたことは『世事見聞録』(文化13年/1816年)ほか文献にある。記録として残らないだけで、死んでしまった女郎もいるのではないか。
新之助「己のふがいなさに耐えられなかったのは私のほうだ。弱かったのは俺なのだ」
新之助の言葉が、同じ立場である蔦重の心に刺さる。
瀬川は生きてゆく
瀬川はいねの言葉に女郎たちへの思いを感じ取り「四代目瀬川は迷惑千万な馬鹿女」の意味を問うた。いねは四代目が自害を選ばなければ、この20年の間に「瀬川」を何人もの女郎が襲名し、豪儀な身請けをされたであろう可能性を語る。
いねも本当なら、吉原の外で暮らせたはずの花魁の一人だったのではないか。大門の外への道は閉ざされ、そのまま忘八の一人として哀しい女たちの姿を見続けることになったのでは。
いね「ここは不幸なところさ。けど、人生をガラリと変えるようなことが起きないわけじゃない。そういう背中を女郎に見せるつとめが『瀬川』にはあるんじゃないかい」
大名跡を継ぐ花魁は、吉原の女たちの希望。その名の重さと責任を、いねは静かに説く。
夏の夕暮れの光が障子から差し込み、瀬川といねを淡く包む。本作は吉原という閉じた世界が場面の大部分を占めるゆえか、光で朝昼夜、一日の変化をつける演出が巧みで美しい。
翌日、瀬川は蔦重に例の貸本を返した。
瀬川「この本、馬鹿らしうありんした。この話の女郎も間夫も馬鹿さ。手に手を取って足抜けなんて上手くはずがない。この筋じゃ、誰も幸せになんかなれない」
この本とは、近松門左衛門『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)(享保5年/1720年)』。世話物の傑作である。人形浄瑠璃、歌舞伎で幾度も上演され、1969年には岩下志麻と二代目中村吉右衛門のふたりを主演に映画化もされた。遊女と紙屋の男の恋が心中で終わるので、たしかに幸せにはなれない話だ。
傍目には本の内容を話題にしているように見えるが、実際には蔦重と瀬川にしかわからない別れの言葉であり、胸が痛む。自分の甘さを痛感したあとの蔦重は苦々しい顔で答えた。
蔦重「悪かったな。つまんねえ話すすめちまって」
瀬川「なに言ってんだい。馬鹿らしくて、面白かったって言ってんだよ。この馬鹿らしい話を重三がすすめてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ」
手に手を重ねて本を返す。一度も抱き合わずくちづけもせず、恋の終わりを告げるために重ねた手の温かさが唯一の、互いの体の記憶。
蔦重が開いて見た本の間に挟まれた、女切手の下半分。「しお」と蔦重が名を書いた上半分を、瀬川はきっと持っている。幼い頃に吉原に来てからの彼女の名は「あざみ」「花の井」「瀬川」……。そんな女郎としての源氏名ではない、惚れた男が名を「しお」とつけてくれた。その名と、一緒に逃げようとしてくれた思い出を胸に、瀬川は生きてゆくのだ。
五代目瀬川は自害も心中もしない。生きてこそだ。
瀬川の身請けは正式に決まり、その身代金は1400両。こんなに熱い思いを振り切ったのだ、幸せになってほしい。ただ、鳥山検校には気になる点がある。瀬川にもその周りにもごく紳士的に接しているのだが、お付の者への「おい」という呼びかけが、カタギではない者の声音を感じさせる。盲目の富豪なので、すぐ傍にいる人間に舐められたら終わりだから強面な男で居続けねばならないのだろうが、それだけか? 身請け後も瀬川に優しく、紳士的な男であってくれるか? 頼むよ! この子を幸せにしてよ!
次週予告。
吉原を江戸っ子があこがれる場所にするという蔦重の新たな夢。久しぶりに江戸城の皆さんが登場! 五代目瀬川、白無垢の「おさらばえ」。結婚式の親戚の気持ちで見ちゃう(涙)。
10話が楽しみですね。
*******************
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、安田顕、小芝風花、高橋克実、渡辺謙 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
*******************