「ガマンしない、決めないのがいい。自由を求めて施設の暮らしを選びました。」(ノンフィクション作家・久田恵さん)
撮影・千葉諭(久田恵さん)、宮濱祐美子 イラスト・松元まり子 文・殿井悠子
同世代ばかりの住まいだから ムーミンの刺繍が入った洋服でも平気。 みんな、少年少女のように生きてます。
「2018年に、100人の介護士に『なぜこの仕事を選んだのか』をテーマにインタビューして本を出したんです。ゆいま〜る那須は、その頃に知りました。取材に行ったら、ひと目で気に入って。サービスの内容うんぬんじゃなく、風景とか風の音とか、土地そのものを。ここに入るって決めました」
突然の久田さんの決断に、家族はびっくりしたという。
「というのも、わが家には担当制で孫2人の学童のお迎えをするという、ルールがあったんですね」
ルールを守るため、ゆいま〜る那須に住まいを移した後も、しばらくは毎週東京に戻っていたそう。それでも移住を決行したのは、「70歳になったら人生のステージを変えたかったから」と話す。
久田さんの人生は波乱万丈だ。離婚してシングルマザーとして働きながら息子を育て、38歳から母の、続いて父の介護も担ってきた。
「かれこれ20年ぐらい介護しました。そういう経験もあって、家族とずっと一緒にいると、私が病気になったり色々な問題が起こったりしたら、家族の人生を変えてしまうかもしれない。だから、しっかり自立して、最期のことまで自分で決めないとって、それはずっと考えていました」
全国の介護施設を見聞してきた久田さんだが、ここは他の施設にはない自由な暮らしがあるという。
「安否確認だけはしてくれますが、あとは何の縛りもないし管理もしない。木のコテージ風の長屋がコの字型に並んでいて、各棟ごとにお庭があって。近すぎない、遠すぎもしない距離で、70人くらいで暮らしています」
ルールはみんなで決める。入居者は、決算報告をシビアに指摘する公認会計士や、ポスターやチラシに赤入れしてくれる雑誌の元編集長、アウトドアの達人、元看護師などさまざまだ。
「高齢になって集団でいると、みんな得意分野があるから何かと便利ですよ。これからの時代は、高齢者同士で知恵を絞って生きないとね。介護難民が増えるし、日本の経済もとんでもないことになっちゃいますから。まず、団塊の世代の私たちがモデルを見せる。自分にハマる納得のいく施設がなかったら、みんなでつくろうよって」
那須に来て、ヘルパーの資格も取得した。
「シニアヘルパー協会という、ヘルパーの派遣団体を立ち上げようとしているんです。ヘルパーばばあ協会がいいんじゃない?なんて言うから、そんな名称つける人とは一緒にやりたくないって言ったりして(笑)」
入居しても合わない人は、ガマンをせずに出ていくそうだ。でもたとえ喧嘩をしても、根っこの部分で「私たちは運命共同体だから助け合って生きていこうね」という思いが根底に流れているという。
アクティブに暮らしをアップデートしていく久田さんの様子を見て、息子たちも、今では喜んでいる。
「那須を気に入り、早朝から孫を連れて遊びに来ています。母親が入った高齢者施設を別荘代わりに使うなんて、面白いですよね」
暮らし方は人によって十人十色。こんな風に過ごせるなら、高齢者施設のミライは明るいかも?!
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