『母、野際陽子 81年のシナリオ』著者、真瀬樹里さんインタビュー。「母は闘病中もユーモアのある人だった。」
写真提供・小山幸佑(朝日新聞出版)
多くのドラマで印象に残る役を演じた野際陽子さんが亡くなって1年あまり。一人娘の真瀬樹里さんが記した本書は、知的でクールな印象のある野際さんの意外な一面が垣間見える。たとえば“汗かいたらそのままお風呂に入れるし、体のラインが見える”からとパンツ一丁のまま、ステッパー(足踏み健康器具)を踏む。家では共演者の口癖や動物のモノマネばかりするなど、テレビでは見られない野際さんの秘話も満載だ。
「本人いわく“めんどくさがり”なので、一石二鳥を狙おうとする。その結果が天然のようなおかしさにつながる感じですね」
真瀬さんは野際さんが38歳で産んだ一粒種。「ママの宝物はだ~れ?」と言った後にきつく抱きしめたかと思うと、勉強を教える際は同じミスをすると時に鉄拳制裁も辞さない厳しい一面も見せる。
「期待も大きかったと思いますがどれだけ私を愛しているかを母はストレートにぶつけてきた。私は苦しい時は甘えたかったけど、それは許してもらえなかった」
大学に入学後、真瀬さんは念願の役者として活動するが、思い悩むことも多かった。同業の先輩の野際さんに相談するも、返ってくる答えは「そんなネガティブなことを言っている間に、前向いてできることをしなさい」というもの。
「今思えば、母なりの私へのエールで、背中を押してくれていたのでしょう。でも当時の私にはわからず反論すると、その後に母からさらに説教を受けて、泣いて自分の部屋へ逃げ帰る日々でした」
真瀬さんは自分の素の姿を見せられなくなり、30歳になるまで親子関係はどこか壁があるままだった。しかし、真瀬さんはある日、いつものように口論で打ち負かされた後に野際さんに“ただ話を聞いてほしかった”ことと“抱きしめてほしかった”と本音を訴える。野際さんもそれを聞いて、寂しい思いをさせたり、気づかなくてごめんねと泣きながら答えた。
「あの出来事がなければ、その後の10年以上の間も壁があるままだったと思います。私も母に何でも話せるようになりましたし、母も何かにつけて私に気軽に声をかけてくれるようになりました」
新たに築いた親子関係はしばらくすると野際さんの膵炎をはじめとする病気と向き合うかたちに。
「母は闘病中も持ち前のユーモアを忘れず、明るい笑いに変換できる人でした。私も悩んだり、思いどおりにいかない時には母に倣って前向きに考えようとしています」
朝日新聞出版 1,500円
『クロワッサン』979号より
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