日本全国、手仕事の現場を訪ねて──南部桶正(岩手県宮古市)
撮影・志鎌康平 文・藤森陽子
豊かな日々を映す、全て手作業の桶
北上山地の最高峰・早池峰山の麓にある小さな集落、タイマグラ。独特の響きを持つ地名は、アイヌ語で「森の奥へと続く道」という意味を持つ。文字どおりどんどん細く険しくなる森の一本道を車で進んでいくと、やがて1軒の民家に辿り着く。ここが「南部桶正(なんぶおけまさ)」の桶職人・奥畑正宏さんの仕事場だ。
満面の笑みで出迎えてくれた妻の智穂さんに工房へと案内されると、奥畑さんはお櫃作りの真っ最中。工房で聞こえるのは清流のせせらぎと柱時計の振り子の音だけ。辺りは鉋くずから漂う檜葉のいい香りで満たされていた。
山と旅を愛し、「田舎暮らしに憧れたから」と語る奥畑さんが、故郷の大阪からこの地に移り住んだのが28歳の時。大学卒業後、手に職をつけたいと鍛冶屋や炭焼き職人などを訪ねたが、最もしっくりきたのが桶作り。兄の充幸さんがタイマグラで営む民宿で桶風呂と出合い、その作り手の親方に教えを請うたのが職人人生のスタートだった。
「なぜ水が漏らないのか不思議で、すごい技術やなぁと。もともとモノ作りが好きで、地理学を学んだ大学時代に旅先で出合った伝統工芸や民藝に興味がわいたんでしょうね」(奥畑さん)
「南部桶正」の商品は、お櫃や寿司桶、米櫃、湯桶や風呂桶など。食に関するものは奈良の吉野杉を、浴室用には香りがよく、水にも強い青森檜葉を使う。接着剤は一切使用せず、接合は竹釘のみ。タガや竹釘に用いる竹は地元産で、自身で削り出す。こうした伝統技法と国産木材のみから生まれる桶は、スッと柔らかく手に馴染み、作り手の丁寧な人柄が表れるようだ。
使い心地の確認も兼ね、自宅でも桶が活躍。この日も愛用する寿司桶で智穂さんが見事なちらし寿司を振る舞ってくれた。あぁ、なんと豊かな時間だろう。
「やっぱり喜んでもらえることが一番のモチベーションになりますね」
とにこやかに語っていた奥畑さん。使い方をサポートできるよう、卸しは行わず受注生産のみ。全国に愛用者が増え続け、現在は数カ月待ちの人気ぶりだが、丹念な仕事を思えば当然のこと。北上山地の森の奥から白木のいい香りが届く日を、楽しみに待ちたい。
南部桶正(なんぶおけまさ)
岩手県宮古市江繁5-101-1 TEL&FAX 0193-78-2730 mail:nanbu.okemasa@gmail.com お櫃は2合1万1000円〜。販売は受注生産のみ。現在は数カ月待ちの状態。注文は電話、FAX、メールで。https://www.nanbu-okemasa.com/
『クロワッサン』1151号より
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