京都の老舗で探す価値あるおみやげ──古来より人々と共にあった香の文化を未来に引き継ぐ「香十」へ
撮影・吉村規子、園山友基(銀座の香間ほか) 構成&文・堀越和幸
手前に並んでいるカラフルな香は入門者が手に取りやすい「いろは」のシリーズ。その後ろには匂袋などのコーナーが
左から後伏見天皇、後小松天皇、右は香道の道を拓いた三条家秘伝の「薫物秘要集」(写し)。調香の配合が記される
写真は「羅国」と呼ばれる香木。香木は取れた産地により六国に分類され、羅国はその一つ。繊細で上品な香りが特徴
『香十』が京の都に登場したのは天正年間の1575年だ。香自体の歴史はさらに古く、聖徳太子の時代にまで遡る。浜辺に流れ着いた香木がルーツとされているが、その後も姿形を変えて日本人の生活にそっと寄り添ってきた。
「平安時代は丸薬状の練香が主流で衣服などに自分の香りをくゆらせたりするのが貴族の嗜みでした。鎌倉時代には戦の前に兜の中に香木を薫きしめたと聞きます。鎮静効果があったのでしょう。室町時代になると香道としての発展を見せ、香木の香りを聞き当てる、という文化が生まれました」(「香十天薫堂」課長・伴在貴弥さん)
私たちが慣れ親しむ棒状の線香が登場したのは江戸時代になってから。高級品だった香が庶民にも広まった。
「明治には仏事だけではなく、お花の香りや海外の香水のエッセンスを取り入れた香水香と呼ばれるものが楽しまれるようになりました」(伴在さん)
東京・銀座の一角に設けられた香間「暁」。コの字に座った12〜13名ほどの出席者が、薫かれた香を順番に当てていく。香を聞くことを「聞香」と呼ぶ
“すみれ”の香りに足を止める、二寧坂を行き交う人々
一方で『香十』の歴史を繙けば、創業時は宮中への出入りが許される“御所御用”を務め、香を愛した二人の天皇が記した文献の写し(写真上から2番目)を所有し、江戸時代には調香の名人と評された第八代高井十右衛門の活躍で茶道界にも名を轟かせた。そして現在は──。
清水寺につながる石畳の歩道がゆるやかに続く二寧坂は、休日には観光客がごった返し、肩を触れ合わせなければ歩けないほど。その人々の足を立ち止まらせるのが、〈香水香 花の花 すみれ〉の香りだ。『香十 二寧坂』店長の中部康さんは言う。
「この通りはお年寄りから若い人、そしてインバウンドの方と多種多様の人人が通り過ぎていきます。なので、普段お香に縁がない人にも少しでも気に留めてもらえるよう、常時店先で炷いています。いろいろ試しましたが、すみれが一番集客率が高いようです(笑)」
それは確かにすみれの香りがする。しかし香にすみれそのものは入っていない。白檀などの香木が主な原料だ。
「香って不思議ですよね。金木犀の香りといっても金木犀を使っているわけではない。同じものを桃と言われて聞けば、桃が頭に浮かぶかもしれない。人間は想像力で香を楽しむんです」
そんな営みが、古の男女の睦ごとや戦の場で行われてきたことを思えば、香とは何とロマンチックな道具だろう。
「香に使う器は口が広いものを選ぶと使いやすくて便利です」と店長の中部さん。陳列している商品は地元の清水焼や九谷焼が多い
創業時より御所御用を務めたため、大内裏への出入りを許可する“御札鑑札”を持っていた。現物は今も金庫の中で大切に保管されている
訪れたらこんなお土産をチェック!
香十 二寧坂
店の名前は、室町時代の僧、一休宗純が香の効能を記した書「香十徳」にちなんでつけられた。
『クロワッサン』1150号より
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