考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』33話「新さんて、どんな顔して死んだ?とびきりいい顔しちゃいなかったかい?」憔悴の蔦重(横浜流星)を救ったのは歌麿(染谷将太)の絵
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
あれは葬列に石を投げた男
「これは世を救うための行いである。天誅だ!」
天明7年5月20日(1787年7月5日)夕刻。江戸は南伝馬町の米屋・万屋の前で、新之助(井之脇海)ら長屋の民が打ちこわしの第一声を上げた。
当時のことを、森山孝盛という旗本が自身の日記『自家年譜』(享保12年/1727年~文化8年/1811年)にこう記している。
「打ちこわしの民は米や大豆等の食糧を盗まずに打ち撒くに留め、乗り込んだ先で火事を出さないように火の元に注意していた。壊されたのは標的となった商家のみで、その隣家には被害が及ばなかった」。
襲われているのは、民に米を売り惜しみした、あるいは幕府の要人と結託して稼いでいると悪評が立った米屋だ。江戸市中には政治家と商人の癒着を糾弾し、民衆の暮らしが成り立つ政をせよという内容の文言を掲げた幟旗が立てられたと伝わる。
事態を収めようとする幕府閣僚だが、具体策が出てこない。その時、田沼意次(渡辺謙)を蔦重(横浜流星)が訪ねてきた。
蔦重はまず、奉行所の前で打ちこわしの気運を煽っていたのが、意知(宮沢氷魚)の葬列に石を投げた男であり、その人物が平賀源内(安田顕)の死に関係していたかもしれないと告げる。
すべての陰謀が繋がっていたと腑に落ちた様子の意次に、続けて蔦重が示したのは、打ちこわしを収束させる案である。米ではなく金を配るのはどうか──米を出すまでに時間がかかるのならば、当面は米を買うための給付金を出せば、民の怒りを鎮めることができるのではないかというアイデアだ。
それは名案だと受け入れた意次は、給付金が出る報せを読売にして広めるよう蔦重に託した。
あっという間に暴動に
いっぽう、日本橋・耕書堂。打ちこわしに怯える店の者たちは、肝を据えて飯の支度をする女中たか(島本須美)に「米を炊いたらその煙が暴徒を呼ぶのでは」など口々に不安がる。じっと考えていた蔦重の妻・てい(橋本愛)は、
「米俵を一つ出しておくという手はありませんか。『李代桃僵(りだいとうきょう)』と申しますし」
李代桃僵。「李(スモモ)が桃に代わって倒れる」は中国の兵法書『兵法三十六計』の一つ。損害を避けられないときは、価値の低いものを犠牲にして大きな被害を抑えるという意味だ。ていの言葉は、米を犠牲にして、耕書堂そのものの破壊を免れようという案だった。
そこに帰ってきた蔦重。夫の無事に安堵するていだったが、米が道や川にぶち撒かれている現状を聞いて眉根を寄せる。
てい「それは本末転倒にございますよね。お米がないのにお米を無駄にするなど」
たか「お百姓さんが泣きますよ。一生懸命作ったお米を」
まったくだ! とテレビに相槌を打った。冒頭の米が川に投げ込まれるシーンに、「ああっバカッ!」と声が出たのだ。盗みではなく、窮状を幕府に訴えるのが目的とはいえ、米粒が無下に扱われることがつらい。家屋が壊されて怯える子どもの様子も観ていてつらい。
蔦重も、ていとたかの言葉に頷いた。できるだけ早く事態を収めたい。
一刻も早く読売を配って「米を買うための給付金、お救い銀が幕府から出る」と知らせたい。だが、暴れる民衆にどうやったら受け取ってもらえるものか。
蔦重が思案している間に、打ちこわしは当初の目的とは違う方向に進み始める。
新之助ら深川長屋の衆に合流して膨れ上がった打ちこわし勢。その中に紛れ込み、群衆に向かって、
「いいもん見つけたぞー!!」
と、黄金色の小判を掲げてみせるのは、名前のない男(矢野聖人)! なんてこった、またお前か。
新之助が慌てて止めるが、男は「誰がやったかなんてわかるかよ!」と、店から奪った金品をばら撒き続ける。人々がそれに群がった途端、しめし合わせでもしていたかのように町奉行所の捕り方衆が現れた。「盗人ども! 召し取ってしまえ」の号令が飛ぶ。
実際、しめし合わせていたのかもしれない。だが、恐らくこの後の展開は、捕縛する側は予想していなかったはずだ。
名前のない男に扇動された群衆には響かなかった。捕り方への投石が始まり、あっという間に暴動となった。
必死に止める新之助の声はもう届かない。最初の目的がどうであれ、力に訴える集団のコントロールは非常に難しいものだ。名前のない男がいなくとも、遅かれ早かれこうなっていたのではないか。
暴力と悪意が、江戸の町を飲み込んでいった。
意次の説得
民衆をなだめるには米を出さねばならないが、地方から集めてくるには時間がかかる。第一、打ちこわしは江戸に米を送っている大坂から始まっているのだ。
老中たちは大名に協力を仰いだ。商人に預けている米を一部でよいから、お救い米として提供してくれないかという要請だ。江戸城に集められた大名たちからは「町人ごときに屈せよと申すか」と反対の声が上がる。
そこへ、町奉行・曲淵景漸(まがりぶちかげつぐ/平田広明)が飛び込んできた。
「打ちこわしにて死者が出ましてございます!」「同心にも死者が」
大名たちに衝撃が広がる。同心とは奉行に所属する役人だ。「武家が町人にやられたというのか」「片っ端から無礼討ちにせよ」と口々に曲淵に命じるが、曲淵は、
「しかし皆、日頃から刀を抜くことはございませぬゆえ」
と困惑する。
前回のドラマレビュー(記事はこちら)で触れた通り、町奉行は行政担当官である。
町奉行に所属する武士は、イメージとしては都庁や裁判所に勤務する公務員が近いだろうか。戦乱の世が治まってから140年以上、身分が武士だからといって人を斬れと命じられても途方に暮れるだろう。
ここで意次が「ここは、御先手組を出すのはいかがでございましょう?」と提案した。御先手組は将軍が外出する際の警護、治安維持のために働く武官だ。
そして、意次は大名たちをこう説得した。
「この騒ぎは御先手組だけで収まるものではございません。米だけが、民の怒りの刃を収める鞘にございます」「そのために身を切ったとあれば、皆さまの名は打ちこわしを収めた者として後世に残ります。どうか、どうか」
この天明の時代から後世まで、悪徳政治家の汚名を着ることになる田沼意次。穏やかな世のため民のために頭を下げる姿が、切ない場面だった。
斎宮太夫の美声
打ちこわし騒動真っ最中の江戸の民に、お救い銀給付を報せる読売を確実に届ける。蔦重の作戦が実行に移された。
略奪の町に突如鳴りだす太鼓、笛、鉦、三味線の軽快な音色。暴徒も、彼らを止めようとする新之助も皆一様に驚いて振り返ると、囃子方を乗せた山車がゆっくりとやってくる。行列を成す連は青い揃いの着物、その先頭を歩くのは、当代一の人気浄瑠璃太夫、富本斎宮太夫(とみもと いつきだゆう/新浜レオン)。
斎宮太夫の美声が響き渡った。
♪ 天から恵みの銀が降る 3匁(もんめ)2分 米1升 声は天に届いた ♪
蔦重「お救い銀が出るってさ! 米に引き換えられるんでい!」
次郎兵衛(中村蒼)「3匁2分で米1升!」
見覚えがあると思ったら、12話の吉原の俄祭で使われていた山車か(記事はこちら)。富本斎宮太夫を呼べたのは、芸事好きで富本節を習っていた次郎兵衛のツテだろう。
蔦重の作戦は、荒れ狂う町の空気をエンターテイメントで和らげるというものだった。
賑やかな歌と音楽に合わせて読売が配られてゆく。銀3匁2分は現代に置き換えると大体7000~8000円くらいか。1人当たりに給付されるこの金で、米1升を買えるようにするという報せだ。
これはありがたいと人々はわきかえり、次郎兵衛の「さあさ皆さん、ご一緒に」という掛け声で「銀が降る! 銀が降る!」と喜びの練り歩きが始まった。
打ちこわしは祭となったのだ。
歓喜の群れの外で、蔦重を睨みつけている名前のない男。その目は憎しみに燃えている。
人々を掻き分け、ゆっくりと蔦重に近づいてゆく。胸元から匕首を出し、蔦重の肩に手をかけ、そして──。
振り返った蔦重と男の間に、新之助が飛び込んできた!
倒れ込む蔦重と新之助、あがる悲鳴。皆の注目が、名前のない男とその手の匕首に集まった。新之助は深手を負いながらも、
「これは打ちこわしだ。殺し合いの場ではない!」
と男を諫める。それには耳を貸さない男が匕首を振り上げた瞬間、その胸に矢が突き刺さった。
矢を放ったのは、御先手組を率いて駆けつけた陣笠姿の長谷川平蔵(中村隼人)。
「御先手組弓頭、長谷川平蔵である!」
素晴らしい大喝であったから、キャーッ待ってました、鬼平! と叫んだ。そんな場合ではないのだが、時代劇ファンなので、つい喜んでしまう。
武装した御先手組に討たれた男を見て、暴徒は散り散りに逃げて行った。
蔦重を守り、暴徒によるこれ以上の狼藉を防いだ平蔵の矢だが、単純に悪者が成敗されたとは喜べない。度重なる謀殺と治済(生田斗真)とを結ぶ人間が消えてしまったのである。
名前のない男は一体、何者だったのだろう。
平賀源内と佐野政言(矢本悠馬)の屋敷に出入りしていたこの男を、隠密だから芝居が上手いのだろうと思って観ていた。だが、意知の葬列に石を投げたとき。奉行所前で「犬を食えと」と皆の怒りを煽ったとき。名前のない男は、本心から世の中を憎んでいるように感じたのだ。もっと怒れ、もっと狂えと、民衆を黒い渦に巻き込む邪悪な喜びに酔っているようにも見えた。
彼にとっては、この世を楽しく、明るくする男・蔦屋重三郎は敵そのものだろう。
だから刃を振るったのか。いや。全てはもう、わからない。
名前のない男は、人間の心に在る悪意の象徴なのかもしれない。
新之助、最期の言葉
「やりましたねえ。これで米の値が下がりますよ。米屋もお上も欲張るとこうなっちまうと思い知りましたさ」
と励ましながら、蔦重は深手を負った新之助を抱きかかえて医者に連れて行こうとする。その腕の中で次第に弱っていく新之助は、息も絶え絶えに己の人生を振り返って、
「俺は、世を明るくする男を守るため生まれてきた」
これが、新之助の最期の言葉だった。その死に顔は、うっすらと笑みを浮かべている。きっと、ふく(小野花梨)ととよ坊が迎えに来てくれたにちがいない。
蔦重はこの時の新之助の体の重みを、最期の言葉を一生忘れられないだろう。新之助が身を挺して守った「世を明るくする男」。その使命を腕に抱えて生きてゆくのだ。
江戸で起こった打ちこわしの指導者が誰なのかは、今に伝わっていない。江戸市中に立てられたという政治の責任を問う幟旗を、誰が書いたのかもわからない。
名もなき民衆の蜂起によって幕府が動き、将軍のお膝元である江戸で争乱が起こったこの事件は、ここから先の江戸幕府の統治に、長く深く影響を及ぼすこととなる。
怪物じみてきた大崎
新之助たちが抗議の打ちこわしを始めたのが天明7年5月20日。お救い銀の給付が始まったのが5月25日。価格を抑えた米の販売が開始され、裕福な商人たちが炊き出しを始めたこともあって、江戸市中の打ちこわしは徐々に鎮静に向かった。
ホッとする間もなく、江戸城では再び陰謀が蠢き始めている。
大奥御年寄・大崎(映美くらら)は大奥総取締・高岳(冨永愛)に、不審なものが届いたと小箱を差し出した。中身は手袋。
高岳が「それは私がかつて誂え、種姫様の名前で亡き家基様(奥智哉)にお贈りしたものじゃが」と応えると、大崎は満足げに微笑んだ。高岳から手袋を誂えたのは自分であるという言質を取りたかったのだ。果たして大崎は、高岳の目の前で手袋を手にとってみせる。これは将軍世継ぎ・家基暗殺に使われたものですよね? と示唆したのだ。
動揺を圧し殺す高岳に、
大崎「調べてみましょうか?」
家基暗殺の犯人はあなただと公にしましょうかという脅迫だ。身の潔白を証明する手立ては、高岳にはない。高岳は屈服せざるを得ず、大奥は松平定信(井上祐貴)の老中就任を認めるとの声明を出した。
怪物じみた素顔を見せつつある大崎が恐ろしい。
これで晴れて老中に就くかと思われた松平定信だが、辞退したいと治済に願い出た。
なんと、老中首座ならば引き受けると言い出したのだ。
現代に例えるなら、当選一期目の国会議員が総理大臣にしてくれるなら内閣入りを検討しても良いと言い出すようなものだろうか。その議員が代々政治家一族出身のいわゆるサラブレッドだとしても、治済の言うとおり「さすがにそれは難しかろう」となる。
治済は定信の要求をそのまま飲むことはない。交換条件を思いついた。
「田安の家を上様に献ずる気はあるか?」
定信の実家、田安徳川家の再興を諦めろという話だ。怒りに顔をゆがめる松平定信。
同じ徳川の血を引き、11代将軍・家斉(城桧吏)をこれから支えてゆくはずの2人だが、手を取り合い上手くやっていける気配がまったくない。
政治の乱れは民衆の苦しみに直結する。頼むから諍いはやらかさないでほしい。
歌麿の作品
新之助の墓の前に座り込む蔦重。頬はげっそりこけ、泣きはらした目は虚ろである。
こんな疲弊した蔦重を見たことがない。新之助が斃れた日から、自分を責めて責めて責め抜いているのだろう。
訪ねてきた歌麿(染谷将太)は「これが俺の、ならではの絵さ」と作品を見せた。
広げた紙の上には、生命力に溢れた虫と植物の絵。
30話(記事はこちら)で、鳥山石燕(片岡鶴太郎)が「お前の目にしか見えないものを現わしてやるのが、絵師に生まれた者の務め」と、歌麿にしか描けない、歌麿ならではの絵を描くよう教えた。その一つの答えが、この絵なのだ。
「まるで生きてるみてぇだ」と泣きながら驚く蔦重に、歌麿は「命を絵に写すことが俺のできる償いなのかもしれねえって、心が軽くなってきたんだよ」と微笑む。
その温かい口調に、蔦重は新之助を死に追いやった自責の念を吐露した。
歌麿「新さんて、どんな顔して死んだ?」「攫いてえほど惚れた女と一緒になって、苦労もあったろうけど楽しいことも山ほどあって、最後には世間に手前の思いをぶつけて貫いて。だから、とびきりいい顔しちゃいなかったかい?」
人は皆、必ずいつか死ぬ。その最期の時まで精一杯生きた人間が、悔いているはずはないのだ。
かつては歌麿も母の死に関わり、俺なんて死んじまったほうがいいんだと苦しんだ。命は、生きているとはどういうことか。絵を通して見つめ続けた歌麿の達した境地だ。
蔦重に救われた歌麿が、今度は蔦重の心を救ったのだった。
本作はどこまでも、創作による救済を描く。
次回予告。ついに田沼意次に引導が渡されるのか。みたび「屁! 屁!」の宴。切腹を許されない武士。この人がこうなっちゃうと、誰袖(福原遥)が心配になる。
寛政の改革始動。厳しいことを言う松平定信だけど、あなたプライベートでは黄表紙を読んで癒されてるんですよね?
「書を以て抗いてえと思います」──蔦重の戦いが始まる。
34話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、渡辺謙、染谷将太、橋本愛、岡山天音 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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