宇崎竜童さん・阿木燿子さんの家族の物語。
でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えてもらいました。
撮影・徳永 彩(KiKi inc.) スタイリング・高橋匡子(阿木燿子さん) ヘア&メイク・大島知佳(レーヴ/阿木さん) 文・森 綾
一対で仕上げるべきテーマはまだある。ともに柔軟に成熟して。
作詞家、作曲家としても絶妙なパートナーシップを築き、夫婦としても来年は金婚式を迎える、宇崎竜童さんと阿木耀子さん。二人が’96年に作った赤坂のライブハウスで、気がつけば長い道のりと、互いへの今の思いに向き合ってもらいました。
宇崎竜童さん(以下、宇崎) 大学時代に知り合って、25歳で結婚したんだよね。僕が軽音楽部にあなたを勧誘したのが出会いでね。
阿木燿子さん(以下、阿木) しばらくは部活仲間という感じよね。
宇崎 すぐ結婚を申し込みたかったけど、ね。一目惚れというよりは、何回も前世で会っていて、やっと会えた! という気持ちだったんだよ。
阿木 最初のデートを憶えてる? 部活の先輩が入院してお見舞いに行こうと集合場所に足を向けたら、あなた一人しかそこにいなくて。
宇崎 えっ、そうだっけ。もう50年も前だし忘れちゃった。だいたい、「付き合ってください」と言った憶えもないし。
阿木 まさに歌詞ではないけれど、「知らず知らずのうちに」ね。気がついたら一緒に住んでた。
一見軽率でも価値観は同じ。表と裏の役割のバランスもいい。
宇崎 横浜から赤坂に移り住んだのが結婚して3年後ぐらい。
阿木 ヒット曲に恵まれ、忙しくなって取るものも取りあえず夜逃げみたいな感じで引っ越したのよね。当時の一ツ木通りは、大人の風情のあるいい街だった。
宇崎 日枝神社、豊川稲荷、赤坂氷川神社と神様に囲まれていて、ここに来たら運が上がる気がしたんだよね。
阿木 このライブハウスの上にある部屋に住んでいたんだけど、あの頃はとても忙しくて。
宇崎 ギターと紙と鉛筆とテープレコーダーだけで曲をいっぱい書いたなあ。
阿木 部屋がそんなに広くないから、私は近くの喫茶店で詞を書いて。『横須賀ストーリー』はそこで生まれたの。
宇崎 そういえば、ブギウギハウスというスナックもその頃、始めたよね。
阿木 あれはあなたがやろうって。
宇崎 店をやりたいというより、仲間が集まる場所が欲しかったんだけどね。
阿木 深い考えはなく、あなたは何事も気分で始めちゃう。で、私も「そんなことやめましょう」とは言わない。
宇崎 どっちかが言い出すと、もう一人が「それもいいかも」って。
阿木 軽率なのよ、人生が(笑)。ただ基本的な価値観が似ているの。
宇崎 性格はまったく違うんだけどね。「楽しくやろうよ」というところで意見が合うんだよね。
阿木 たとえば私は対談の仕事をする時は、その前に、その方の作品にちゃんと目を通して、徹底的に準備をする。
宇崎 僕は行き当たりばったり。
阿木 どちらがいいか悪いかじゃなく、あなたは直感型。
宇崎 でも楽曲を作る場合、最後の仕上げはあなたの判断を信じるね。スタートは自分の感覚とひらめきだけど、決着をつけるのはあなた。
阿木 表に出る人。裏を守る人。そういうバランスがうまくいってるのね。