『私が誰かわかりますか』著者、谷川直子さんインタビュー。「介護を通して世間のあたたかさを知った」
再婚を機に48歳で地方に移住し、長男の嫁として義父を介護する桃子。彼女をはじめ、介護と向き合う女性たちを丁寧に描いた作品だ。
「主人公の桃子は、私自身ですね」
と谷川直子さん。13年前、東京から長崎県の離島に移住。その数年後に、義父の最期を看取った実体験から本作を書いたのだという。
撮影・黒川ひろみ
「介護の最中は目の前しか見えなくてつらいけど、横を見ると同じように闘っている人がいることを伝えたかった。私も病院で会った人たちと話すことで、“私だけじゃないんだ”と元気づけられたので」
介護を通してぶつかった「世間」の目も書きたかったことの一つ。
「世間の目って人間がいる限り必ず存在しますよね。SNSの中にもあると思います。例えば、派手な投稿をしたら周りからどう思われるかな、と気兼ねしたり。地方だと、人数も少なくて監視されているように感じたりもする。長男の嫁は義父の面倒を見て当然、という圧もあった。老人ホームに入れたら、“ついに追い出したんだ”という陰口が聞こえてくることも」
しかし、苦しめられた世間の目に励まされたこともあったという。
「義父の葬式で皆が口々に“よく頑張った”と言ってくれたとき、すごくうれしかった。目を光らせながらも最後まで見守る、世間の“あたたかさ”に気づいたとき、これを作品のテーマにしようと思いました」
自分から一歩を踏み出したら、 やっと心が通じあえました。
周囲の目に悩み、介護でも行き詰まった桃子が初めて義父を「父ちゃん」と呼ぶ場面は印象的だ。
「信頼関係が築けていない現状を打破したかった私から、実際に出た本能的な言葉でした。ライターをしていた頃、競馬の取材で馬の顔に着目した記事を書いたら、面白がってもらえたことがあって。だから、違った角度から一歩踏み出せば現状は変わる、拒否からは何も広がらない、という経験則がありました。思い切って、“お義父さん”から“父ちゃん”に変えたら、いつもより早く“なんね”と反応が。初めて心が通じたと感じました」
死の直前まで懸命に生きる義父の姿に人間の生命力の強さも見た。
「今までできていたことができなくなる。それは情けないことかもしれない。それでも自分を受け入れて生きていく様子に、人間としての最大の優しさを感じました」
東京で在宅介護をする桃子の友人・恭子や、亡き夫の両親を介護する静子。登場する女性たちは、全員三人称の視点から語られる。
「最初は桃子の一人称でしたが、どうしても義母の言葉を入れたかった。義母にしか見えない世間を、桃子の言葉で伝えたら、本当の思いが曲げられる。だから思い切って、全部三人称に変えました」
あえて、女性だけに焦点を絞ったことにはこだわりがあったそう。
「女性の人生の大変さをいろいろな側面から描きたかった。介護だけじゃなく結婚、出産とか。次の作品では、困難を夫婦で一緒に乗り越えた先に得られるものがある、ということも伝えたいですね」
『クロワッサン』984号より