絵が下手な私が、美術家としての活動を続ける理由。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
私は泳げない。水泳をしているという友人にこのことを伝えると、「タイムを競わなければ誰でも泳げるようになるよ」と言う。ハッとした。私は泳げないのではなく、泳ぐのを諦めただけなんだ。私は性格的に合理的なところがあり、多くのことを諦めてきた。学校での勉強や体操などは、自身の適性を探るためのもので、他者よりも秀でた才能がなければ早めに諦めて、他の可能性を探ることのほうが大切だと思っていた。この友人との会話まで、一番になる可能性がなければ続ける必要なし、とも思っていた。でも今、私が身を置いているのは、幼少期に一度諦め手放した美術の分野だ。幼少期は自由に楽しく絵を描いていた。忘れもしない、あれは6歳の頃、褒められたいという自我が芽生え、バンビを描いた一枚の絵を完成させたとき、母に褒められなかったことをきっかけに絵を描かなくなったのだ。そして、高校3年時に美術方面に舵をきったのも、勉強が出来ず学業を諦めた結果で、いろんなことを諦めすぎて、気がつけば目指す方向が360度回って戻ってきてしまっていた。
美術家としての活動も来年で20周年を迎えるが、私は絵が下手だ。点数をつければ合理的な私は必ず「諦めよ」と言うだろう。それでも続けているのは、「タイムを競わなければ泳げるようになる」と言った友人が水泳に感じている魅力を、私も美術の世界に感じているからなのだと思う。
上手に泳げるから泳いでいるのではないし、上手に描けるから絵を描き続けるのではないということ。何かストンと落ちるものがあった。
束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は https://www.facebook.com/imostudio.imo/
『クロワッサン』974号より
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