映画を観ながら2006年に訪ねたベイルートの町並み、そしてパレスチナの人たちが暮らす難民キャンプを思い出していた。かつて中東のパリと讃えられた美しいベイルートは、数々の内戦を繰り返した歴史をもつ。ベイルートはすでに近代的な都市となっていたが、周辺の難民キャンプに一歩、足を入れると、日の当たらず、狭く、環境の悪い地域に、たくさんの人がひしめき合いながら暮らしていた。難民キャンプ内は目的も将来への希望もなく、閉塞感が漂い、息苦しさを覚えるほどだった。
この映画は、首都ベイルートの住宅地で、パレスチナ難民のヤーセルとマロン派キリスト教徒のレバノン人、トニーという対立関係を持つ二人が、アパートのバルコニーからの水漏れをめぐって争いを起こす、日常的な些細な出来事を発端として、警察沙汰、裁判闘争にまで発展していく。
映画はともかく息をつかせないぐらい、話の展開が早い。単純に映画として観ていて面白い。しかし映画が進む一方、いろいろなものが見えてくる。この映画にはレバノン内戦が深く影を落としている。
映画の中で上司の仲介でトニーに謝りに来たヤーセルは、「シャロンに抹殺されていればよかった」と言い放ったトニーに強烈なパンチをくらわす。パレスチナ人にとってシャロンは特別の意味を持つ人物だ。1982年、サブラ・シャティーラ大虐殺の軍事侵攻を指揮していたのが当時のイスラエル国防相シャロンだったからだ。
そしてトニーが虐殺のあったダムール村の出身であり、その村はマロン派キリスト教徒の村で、1976年、PLO(パレスチナ解放機構)の関連組織やレバノン左派組織と結託した武装集団によって、襲撃され、住民が虐殺されたということを弁護団によって明らかにされる。
裁判が大詰めを迎える中、過熱する法廷外の状況を背景に、トニーとヤーセルの関係はどうなるのか? それは映画を観てのお楽しみだが、ひとつ確実に言えることは、この映画は、二人の男の闘いが、消すことのできない記憶を浮かびあがらせ、人間のアイデンティティは何か、人間の尊厳とは何か、私たちに問いかけている。そしてお互いの痛みを分かち合い、寛容さを持つという未来への一歩を示唆している。
『判決、ふたつの希望』
監督・脚本:ジアド・ドゥエイリ 脚本:
ジョエル・トゥーマ 出演:アデル・カラム、カメル・エル=バシャ 8月31日から東京・TOHO シネマズ シャンテほか全国順次公開。http://www.longride.jp/insult/