もともと絵を描くのは得意だったが、その日から手塚作品をお手本に独学で漫画を描き始めた。
「ありがたいことに、手塚先生は作品の中で漫画の描き方を伝授してくれていたんです。手塚先生がいなかったら漫画家・水野英子は存在しなかったでしょう」
鉛筆で描き始めた絵はどんどん上達し、中学に入学した頃からペン画を漫画誌に投稿し始めた。でもいつも入賞一歩手前の佳作どまりだった。そんな頃、思いがけない一通の手紙が届く。
手紙の主は『少女クラブ』編集者の丸山昭さん。この手紙が水野さんの人生を大きく変える。尊敬する手塚治虫の推薦により、15歳にして漫画家デビューすることになったのだ。
「後から聞いたことですが、手塚先生の担当だった丸山さんが先生の仕事場で私が以前に投稿した原稿を見つけたそうです。『これはなんですか?』と聞く丸山さんに手塚先生は『この子は有望だから、育ててみたらどうか』と言ってくださったとか。本当にうれしかったです」
とはいってもまだ15歳。いきなり上京するわけにもいかず、下関で作品を描き東京へ届ける、そんな生活が2年ほど続いた。そして18歳になった時、ついに上京することになった。