トピックス

内海桂子さんの言葉②「人間、何をやったって生きていける」

大正11年生まれの漫才師、内海桂子師匠。シャキッと伸びた背筋と、朗々とした声は、今も現役の芸人であることの、れっきとした証し。その芸能生活を支えるのはマネージャーであり夫、成田常也さん。二人の微笑ましい日常についても伺いました。
  • 撮影・黒澤義教 文・嶌 陽子

人間、何をやったって生きていける。

 九十四ですよ

 酒は一合

 ごはんは二膳

 夜中に五回はお手洗い

 百まで六年訳はない

 皆様どうぞよろしく願います

師匠が舞台で披露する自作の「さのさ」には、日々の健やかな生活が歌われている。月に8回は「東洋館」の舞台に出演。それ以外にも、時々テレビやラジオ、舞台などから声がかかる。

今でも、完全な休養日は月に5日ほどだ。自身は、休みがないほど多忙だった頃と比べて、「こんなに暇で、どうして食べていけるんだろう」と不思議がるが、まだまだ現役の芸人生活。

それを支えているのが、夫であり、マネージャーでもある成田常也さんだ。

24歳年下の成田さんとは、連れ添って30年。もともと師匠のファンだった成田さんが、仕事で駐在していたアメリカから300通の手紙を送り続け、最後の手紙でプロポーズした。今では、師匠の仕事のスケジュール管理以外に、毎日の食事づくりをはじめ、家事全てをこなしている。

本番を終えた師匠。疲れも見せず、さっさと帰り 支度をする。その機敏さには驚くばかり。
数十年通っている洋食屋『ヨシカミ』で、ほっとひ と息。夫の成田常也さんとビールで乾杯。

鋭い社会批評やウィットに富んだコメントが人気を呼び、今や14万人を超えるフォロワーを持つ師匠のツイッターも、6年前に夫の提案で始めたもの。手を貸し過ぎない、程よい距離感で師匠を見守り、時には「もっとシャキッとしてください」と叱咤激励。「うるさいんだよ、この人は」と言う師匠の表情は、柔らかだった。

「心の支えだね。この年になって、こういう人と二人所帯で、のんびり暮らせているのは、うちくらいじゃないかなと思いますよ」

凪のような穏やかな日々を過ごすまでには、いくつもの嵐を経験してきた。9歳の時から働き、戦争をはさんであらゆる仕事をしてきたことはもちろん、80代には手首骨折、大腿骨骨折、乳がん、肺炎など、さまざまな危機に見舞われたのだ。それでも、全てを完治させ、ほとんど舞台に穴を空けることもなく、前に進んできた。激動の人生、立ち止まることはなかったのだろうか。

パンの耳とキャベツにソースをかけた裏 メニューの「桂子スペシャル」がヨシカミの定番。

「子どものころから、食べるために稼がなくちゃいけなかったでしょう。その都度、自分でどうやって生きていくか、頭を使って考えて、やってみたのよ。だから、悩んだり、後悔したりする暇なんてなかった。94年生きてきて思ったのは、人間、何をしたって生きていけるってこと。くよくよ悩んでる人には、そんな暇があったら、まず動いてみなさいよって言いたいね」

誰にも寄りかからず、自分で切り開いてきた人生という強い自負がある。自分にしか送れない人生。だから、こんな言葉が出てくるのだ。

「何をやっても、内海桂子は、内海桂子。きっと、死ぬまで同じでしょ」

年に数回、夫に「強制的に」温泉に連れられる以外は、旅行にも行きたがらない。外食もつきあいでたまに行くものの、家で食事するのが一番好き。まだ袖を通していない着物が箪笥に眠っていると聞いても、「年を取ったら着るよ」(!)と受け流す。家にいる時は、書を書いたり、都々逸のネタを考えたり。

80年近く、第一線で活躍してきた漫才師の日常は、驚くほど慎ましい。

夫と手をつないで帰途へ。背筋 を伸ばして、スタスタと歩く。

「遊びたいとは、全然思わないね。それよりも、やっぱり舞台で好きなことをやって、お客さんに受けてる時が一番おもしろい。誰にも真似できないことをやっているのが楽しいのよ」

取材を終えて帰る際、何度振り返っても、ずっと手を振りながら見送ってくれる師匠の姿があった。気っ風の良い江戸っ子であると同時に、どこまでも気配りの人だ。幾多の苦労を糧にして磨き上げてきた至極の芸を、これからも私たちに見せ続けてほしい。

『クロワッサン』931号より

●内海桂子 漫才師/1922年生まれ。1950年、内海好江と漫才コンビ、内海桂子・好江を結成。1982年に漫才師として初の芸術選奨文部大臣賞を受賞。現在、漫才協会名誉会長。

内海桂子さんの言葉①はこちら。

この記事が気に入ったらいいね!&フォローしよう

この記事が気に入ったらいいね!&フォローしよう

SHARE