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【香港#03】ヒルサイド・エスカレーター、地上と天上を結ぶ階段で。

文・岩瀬大二

香港で一番高い室内展望台、sky100から香港島側を望む。眼下にクルーズ船、スーパースター・ヴァーゴが見える。

香港で一番高い室内展望台、sky100から香港島側を望む。眼下にクルーズ船、スーパースター・ヴァーゴが見える。

香港の上品さとモダンさを感じられる、中環 セントラルから銅鑼湾 コーズウェイ・ベイにかけてのヒルサイドとハーバーサイドの午後。ヴィクトリア・ピークからの美しい夕景、刺激が路地からあふれ出す九龍 尖沙咀 チムサーチョイの夜。

1泊2日もあれば、駆け足で「観光旅行」的に香港の定番スポットは回れてしまうかもしれない。でも、それだけでは足りない。初日の夜、クルーズ船からの香港島の夜景を見て感じたのは「あの場所をちゃんと歩かないと、この夜景の本当の美しさの意味はわからない」ということだった。

ハーバーサイドに立ち並ぶ美しいイルミネーションの高層ビル群。世界的な大企業の名が英語で書かれたビルボードが輝く。国際都市であり、欧風の文化と富を飲み込んだアジアの奇跡、そして、その下に広がる香港のリアル。熱気、毒気、活気…素顔の町を歩いてみることで、この美しい夜景の本当の意味がわかるのではないかと思った。

 

天上への片道、ヒルサイド・エスカレーターへ

賑わいの中環と丘の中腹、高級住宅地であるミッドレベルを結ぶ、中環至半山自動扶梯系統、英語で言えば「ヒルサイド・エスカレーター」。じっくり散策する場所にここを選んだ。全長800m。長短18基のエスカレーターが、時には急に、時には緩やかに中腹に向かってのびていく。

狭い路地の坂道に沿って、石段がすぐ横にあるところもあれば、橋のように道路の上をまたいでいくところもある。まっすぐな場所もあれば、ターン、カーブもあって、1基目を目の前にしてもその全容はつかめない。こんな迷宮っぽさもどこか香港らしくて、いい。

午後1時、旧中環エリアの最初の1基に踏み込む。高層ビルやオフィスがひしめきながらも、屋台、市場、老朽化した建物もあり、人々の発する熱気に体を持っていかれそうな場所だ。細くて狭い路地、坂道、石段にぎっしりと立ち並ぶ建物。その中を縫っていく。昔ながらの店もあれば、いきなりアバンギャルドでお洒落なギャラリーにも出くわす。

4基、5基と上がっていくと、気がつくのは欧米人と思われる人々の多さ。いかにも観光客という人もいれば、ここに長く住んでいるであろう人、何かの縁あって、今、極東のこの地を拠点にしているのかもしれない人もいそうだ。6基目、7基目と進むと、その彼ら、彼女らが好きそうな、実際、時間を過ごしているカフェやバーも増えてくる。

中環と丘の中腹、高級住宅地であるミッドレベルを結ぶ。

中環と丘の中腹、高級住宅地であるミッドレベルを結ぶ。

ヒルサイド・エスカレーターは上りのみ。下りは自らの足で。

ヒルサイド・エスカレーターは上りのみ。下りは自らの足で。


ちょっとだけ空気が変わり始めて、ちょっとだけ視界が開けて、ちょっとだけ涼しさを感じるあたりまで上がってくると、エスカレーターは大きく左へ方向を変える。そこがソーホー地区だ。South Of Hollywood Rd.、ハリウッドロードの南を意味するこのエリアは、もともとは小さな印刷屋を生業とする人たちが多く住む庶民的な住宅街だったが、ヒルサイド・エスカレーターが開通するとともに、次第にクリエイティブな空気をまとうようになる。

古い建物をそのまま生かしたセレクトショップ、ブティック、レストラン、カフェ。中国や東アジア人が半分、欧米人が半分、いや、中東のエキゾチックな瞳をもった人たちもちらほら見える。一瞬、自分がどこの国にいるのかわからなくなる。エスカレーターで上がっていくうちに、いつのまにかパラレルワールドに迷い込んだように錯覚する。

熱気と錯覚の中で、一瞬、髪をなでてくれる風に、ビールを1杯…という気持ちを抑えて、さらにエスカレーターを上がる。少しずつエスカレーター自体の幅も狭まり、上る人も少なくなる。ここから先は、観光ではなく、生活の道だ。店ではなく家が増え、白い子犬が気持ちよさそうに散歩する。丘に張り付くように佇むプチホテルの小さなエントランスでドアマンと軽く挨拶すれば、まもなくパラレルワールドの小さな旅も終わる。

18基というけれど、果たして本当にそれだけの基数だったのか、もう、どうでもよくなってきた。瀟洒なマンション、住宅。強い日差しだが、薄手の半袖シャツにさっきの「ちょっと」より気持ちよい風があたって、最後の1基から降りると、動物園やヴィクトリア・ピークへと向かう広い道に出る。

様々な国籍の人が集うSOHOのバー。

様々な国籍の人が集うSOHOのバー。

隣の女性客はクローネンブルグの1664。

隣の女性客はクローネンブルグの1664。


平面上の直線距離にしたら800m。しかし、その間、高さを増すほどに世界が変わる。世界的なオフィス街からはじまり、中華系の庶民の活気があり、世界から集まるクリエイティブな場所があって、彼らがくつろぐ場所があり、さらにこの先には僕が見たこともないような富の世界があって、おそらく富を持っている人だけがわかる幸福がある。

エスカレーターは天上への片道のみ。帰りは階段と下り坂だ。僕は再びそこから下って、息を整えながら、中腹のソーホー地区に戻る。カラカラになった喉と火照った体のために、ギネス1パイントを煽るためだ。

 

多様性が日常的な幸せに直結している、香港人のアイデンティティ

午後3時、行きに目をつけていたエスカレーター横のバーで、ギネスで喉を湿らせながら、小さなパラレルワールドの旅を振り返る。オープンエアのテーブルから見えるのは古い印刷工場のようだ。

富を守り栄華を極めたのも香港人なら、普通の市民も香港人。どちらもこの世界有数のコスモポリタンシティの意味を遺伝子レベルで受け継いできた人々なのだろう。両者はこの18基の間にいる。

2014年の雨傘革命の背景も意義も、僕のようなただの旅の人間が語ることではない。けれど、このソーホーのバーで、英国人らしき紳士とカウンターでビールを酌み交わしている地元の会社員や、世界から集まる客を見事にさばく、おそらく南方の血が混ざっているであろうビッグママとそのファミリー的スタッフをみると、彼らが守りたかったもののひとつに、多様性という文化が日常的な幸せに直結している、香港らしさ、とでもというべきアイデンティティがあるんじゃないか、なんてことを思ったりする。

世界から集まった旅人や、ここで人生をリスタートさせたり、サクセスストーリーの一歩を踏み出したり、逆に、逃避してきた人たち。その中で生きてきた古くからの住民、1940年代以降、戦乱や中国建国の激動の中で本土から渡ってきた新しくて古い移民たちと、雨傘革命の主役になった彼らの孫たちの世代。そう、彼らが皆、この18基のエスカレーターの距離にいる。

今や中環のシンボルにもなっている香港摩天輪 The Hong Kong Observation wheel。

今や中環のシンボルにもなっている香港摩天輪 The Hong Kong Observation wheel。


夕刻、今夜の「宿」であるクルーズ船、スーパスター・ヴァーゴに戻る。

夕刻、今夜の「宿」であるクルーズ船、スーパスター・ヴァーゴに戻る。


再び船上からこの夜景を見る。

再び船上からこの夜景を見る。

再び、夜、クルーズ船に戻り、ヴィクトリア・ハーバーから、香港島の夜景を見る。美しい光と風。その中に、ヒルサイド・エスカレーターの熱気と、ギネスの優しい苦味が思い出される。

ただの美しい絵葉書の香港の夜景ではなく、生々しい、人々が多様性の中で作りあげてきた香港人たちのプライドが見えたような気がした。

デッキのバーで軽めのピルスナータイプのビールをオーダーし、ハウスバンドが奏でるアデルのSet fire to the rainを背中で聞く。香港、熱く激しいプライドが、活気と気高い美しさを作り上げているのかもしれない。

権謀渦巻く魔都の中でこそきらめく、ピュアな激情としたたかな許容。そんなことを思いながら、自分でもわかるくらい、喉を鳴らしてビールを飲む。今日の船上の夜はなんとなくドラマティックになる、という心地よい確信があった。2杯目、シャンパーニュを飲むために、夜景に背を向けてカウンターへ歩む。

 

[hidefeed]取材協力・スタークルーズ
     オーバーシーズトラベル[/hidefeed]

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