仲の良さそうな夫婦も、道のりは決して平坦ではなかったのかもしれない。2人の出会い、1960年代初頭にまで遡って聞いてみた。
「友人の紹介で初めて弘子に会った瞬間、なんて可愛い人だろうと思った。中学生の頃からフランス映画が好きで、ファニーフェイスっていうのかな、ブリジット・バルドーとかソフィア・ローレンみたいな正統派の美人ではないけれど魅力的な顔立ちに憧れがあったんだね。少し日本人離れしたような弘子の顔が、僕の理想にぴったりだった」
「もう、また」とはにかみながら、弘子さんが応じる。
「私のほうは実はメガネをかけている人ってあんまり好きじゃなかった(笑)。けれど、初めて会った彼は、細身の綿のパンツに黄色いリブ編みのソックス、デザートブーツを履いて脚を組んでいたの。それを見て、わぁ、かっこいいって。スーツのサラリーマンばかり見ていたから、カジュアルな服装がよけいに素敵に見えたのね。穏やかそうな雰囲気にも惹かれたかな」
当時、名古屋で暮らしていた2人のデートはもっぱら街歩き。流行の映画があれば必ず一緒に観に行って、スクリーンのなかのファッションを夢中で真似した。約2年の交際を経て、1964年、芳夫さん23歳、弘子さん22歳のときに結婚。伊豆への新婚旅行に弘子さんが被っていったフランス製の帽子は、今も大切にとってある。
「オードリー・ヘプバーンに憧れて、真似していたのね。帽子に合わせた黄色いコートは、布を買って洋裁店で縫ってもらったもの。伊豆への観光バスは新婚さんばかりで、当時、女性は帽子、男性は背広にネクタイが新婚旅行の定番スタイルだったから、同じような格好のカップルばかりだったね」