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『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』小松政夫さん|本を読んで、会いたくなって。

植木等を一日1回は喜ばせたかった。

こまつ・まさお●1942年、博多生まれ。植木等の付き人を経て芸能界デビュー。伊東四朗とコンビ芸で「デンセンマンの電線音頭」「しらけ鳥音頭」などのヒット曲と多くのギャグフレーズで一時代を築く。映画、舞台でも役者として活躍する。

撮影・岩本慶三

冒頭で小松政夫さんは以下のように記す。「古臭いと思われるかもしれないけれど、師と弟子という人間関係も素晴らしいもんですよ」。役者になりたい一心で昭和39年に月収10万円(今のお金に換算すると100万円!)をもらう車のトップセールスマンから、月収7000円の植木等さんの運転手兼付き人に転身した小松さん。「これからは俺を父親と思えばいい」と出会った日に植木さんに言われ、「親父さん」と慕いながら、まさに寝食を共にする日々のなかで体験したことが本書で綴られる。

昭和の華やかな芸能界の話や『シャボン玉ホリデー』『前略おふくろ様』『笑って! 笑って!! 60分』など伝説の番組のエピソードも興味深い。

「当時の親父さんの睡眠時間は1週間に10時間ほど。そんなところへ仕事の電話が入るとマネジャーは、『今、植木は忙しくて。そうですね、その日までなら明日の夜中の2時から5時は空いてます』とか話している。さすがの親父もマネジャーの声を聞いて、『おい、そこは俺の寝る時間だ!』と後ろから張り倒していましたね(笑)」

小松さんがそんな超多忙な植木さんを見ていて心がけていたことは、一日1回、植木等を喜ばせること。楽屋には毛布や布団を持ち込む。靴擦れしないように新品の靴は履いて慣らしておく。あるいは、衣装部屋に行く時間を省くべく着付けを覚えるといった具合だ。それは決してつらいことでもきついことでもなかったという。

「心から尊敬できる一流の師匠のもとで24時間そばにいられる。こんな幸せなことはなかった。ましてや『シャボン玉』でいえば5分のコントでも、演出家が構成作家にダメ出ししながら、練りに練った台本をリハーサルに1日かけて収録している。付き人として、そんな現場を生で見られるんです。月謝を払って学校で演劇や笑いを勉強するより、ずっと多くのことを深く学んだと思っています」

43年に及んだ師弟関係。植木さんのことを思い出すと、今もお茶目な笑顔が浮かぶと話す小松さん。日本喜劇人協会会長という立場でもあるなかで「笑い」の現状について尋ねると、

「今テレビに出ている人のなかで自分の芸を極めているものがいるのかと思うことがありますね。漫才師なら漫才という芸で見せるのが芸人です。ひな壇と称するところに座りこんでクイズ番組に出るのが芸人の本道ではない気がします。会長をやっているので、言いにくいんですけれど。ここはひとつ、言っちゃいますね(笑)」

KADOKAWA 1,400円

『クロワッサン』965号より

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