『ザ、コラム』小田嶋 隆さん|本を読んで、会いたくなって。
正論よりも極論の中に真実がある、かも。
撮影・森山祐子
雑誌コラムはもう役割を終えたのだろうか? 連載コラム読みたさに雑誌を買う(または立ち読みする)機会が減ってきた。
「’80年代、’90年代くらいまでは、雑誌の連載コラムは優れた才能の宝庫でしたね。職人的コラムニストの活躍の場は雑誌でした。この十数年の間にコラムニストの活躍の場がウェブに移って、ブロガーの中からも面白い人が出てきた」
と語る小田嶋隆さんも職人的な雑誌コラムの書き手だったが、最近はデジタルの媒体にコラムを書く機会が多い。『ザ、コラム』自体もメールマガジンやウェブサイトに発表した文章を集めた本だ。
「雑誌コラムは決められた字数で、その雑誌の個性を踏まえて面白く整えたり、あえて逸脱したりする。いわば “型” のある芸です。ウェブのコラムやブログには “型” がないので、箱庭的に完成されたコラムが成立しにくい代わりに、いろいろな要素を盛り込みやすい」
例えば「荒川にカンガルーがいた頃」というコラムは、小説のように始まる。’60年代、探検マニアの小学生Kくんが “荒川でカンガルーを見た” という、魅力的なウソをついた。常識的に考えてありえない話だが、誰かが “野うさぎかもしれないよ” と助け船を出す。
「必ずそんな役割の子が現れるんですよ。東京の河川敷に野うさぎがいる道理はないのに、町の小学生にとって謎の動物が魅力的である限りにおいて、カンガルーか野うさぎか “何か” が実在し始める」
職人的コラムニストのすごさは、ほのぼのしたエピソードから一転して、「見たいものしか見ない」「信じたいものを信じるために事実を脚色してかかる」、昨今の風潮を斬り捨ててみせるところ。
「あるドグマを元に偏った情報を収集して、一方的に事実を解釈するような人たちの現実認識は常識から遠ざかって、浮世離れしたものになります。 “視点を変える” ことができないのは危険です」
視点を変えてコラムを書くのが仕事の小田嶋さんは最近、ネットで “ダブスタ” のレッテルを貼られることが多い。ダブルスタンダードの略で、 “以前と今で言っていることが違う” という批判だ。
「政治家の朝令暮改はよくないけれど、コラムニストは以前の発言に縛られて硬直するより、常に見方を変えて “目から鱗” のコラムを書くように努めるのが本来のあり方です。正論よりむしろ、極論の中にこそ人が見落としている大事なことがあるかもしれない。そう思って、コラムを書いています」
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