『百川』に頻繁に顔を出していたのは大田南畝や山東京伝、谷文晁といった文人墨客たち。「山手連」を結成して、狂歌の例会を開くほか、オランダから伝来した蒸留器を持ち込んで実験を行うなど酔狂な宴を繰り広げる。
「『百川』の主人の茂左衛門は懐の深い人でした。当時の江戸で有名な料亭には浅草の『八百善』がありますが、格式を重んじていたので遊興の酒宴などはできなかった。茂左衛門は彼らを受け入れる度量があったんだと思います」
なかでも山手連が『百川』で出す白身魚にふさわしい調味料を考え、植物性と動物性の旨味成分を合わせた、その名も「浮世之煎酒」を生み出す様子は、実際に作って試してみたくなるほど。
「彼らに共通するのは“粋”が信条なこと。白身を醤油で汚してなるものか、と食べ方を工夫してふるまおうとする。江戸の食文化には粋なもてなしが付きものなんです」