『幻の料亭・日本橋「百川」』小泉武夫さん|本を読んで、会いたくなって。 | 読む・聴く・観る・買う | クロワッサン オンライン
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『幻の料亭・日本橋「百川」』小泉武夫さん|本を読んで、会いたくなって。

江戸の食文化には粋が付きものでした。

こいずみ・たけお●1943年、福島県生まれ。東京農業大学名誉教授。現在、各地の農政アドバイザーとして活動するほか著書も140冊上梓。またウェブ「小泉武夫食マガジン」では発酵食を中心に情報を発信している。http://koizumipress.com

撮影・森山祐子

 落語の噺にも登場する江戸の一流料亭『百川』。発酵学者であり「食の伝道師」として知られる小泉武夫さんは、この料亭で出された料理や集った人々の粋な遊び方を小説仕立てにして、江戸の豊かな食文化を伝える。

「文献に残る『百川』の献立を調べると、旬の江戸野菜や野鳥、地魚を素材の持ち味を引き出すかたちで出していました。日本橋の魚市場の近くに店を構えていたので、鯛やひらめ、ふぐなどを河岸のいけすからすぐに調達できた。夏には氷室から氷塊を運び出して、鮑や真子鰈の作りを載せて上客に出しています。冷たい鮑のコリコリ、シコシコした歯ごたえや口のなかで優雅な甘みがチュルチュル広がる味わいはたまらなかったでしょうね(笑)」

『百川』に頻繁に顔を出していたのは大田南畝や山東京伝、谷文晁といった文人墨客たち。「山手連」を結成して、狂歌の例会を開くほか、オランダから伝来した蒸留器を持ち込んで実験を行うなど酔狂な宴を繰り広げる。

「『百川』の主人の茂左衛門は懐の深い人でした。当時の江戸で有名な料亭には浅草の『八百善』がありますが、格式を重んじていたので遊興の酒宴などはできなかった。茂左衛門は彼らを受け入れる度量があったんだと思います」

 なかでも山手連が『百川』で出す白身魚にふさわしい調味料を考え、植物性と動物性の旨味成分を合わせた、その名も「浮世之煎酒」を生み出す様子は、実際に作って試してみたくなるほど。

「彼らに共通するのは“粋”が信条なこと。白身を醤油で汚してなるものか、と食べ方を工夫してふるまおうとする。江戸の食文化には粋なもてなしが付きものなんです」

そんな『百川』に江戸幕府から壮大な依頼が舞い込む。ペリー一行が黒船で横浜にやってきた時に彼らを接待する食事を一手に任されるのだ。その数は500人分! 今のお金で1億5000万円をかけて、90種類の料理と8000種類の器を使う本膳料理でもてなすまでを小泉さんは当日の豪勢な献立をふまえて臨場感たっぷりに描く。

「器を船で運ぶだけで大仕事だったでしょうし、冷蔵庫のない時代に食材の手配も大変だったと思う。茂左衛門の熱意や心意気は生半可なものではなかったはずです」

 明治に入るや『百川』は忽然と姿を消す。その理由についても触れられるが、読むにつれて250年かけて江戸で熟成された粋な料理や食事作法を実感できるはずだ。

新潮社 1,300円
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