「初編が出版された明治5年といえば新政府ができてまもないですし、まだ江戸時代と変わっていないことがほとんどなんです。福沢は留学して西洋を学んでいますから、それまで好き勝手と同義だった『自由』という言葉には、英語のフリーダムやリバティの意味を入れて『自由とわがままは違う』と当時の人には新鮮な解釈で紹介したり、わがままの境界線を考えるうえで『分限』という言葉を使ったりします。まだ近代化が進んでいない当時から、諭吉は今も通じる考え方をもっていたんだとわかりました」
『学問のすゝめ』は当時20万部のベストセラー書。福沢の考えはどう受け入れられたのだろうか。
「『学問のすゝめ』はひらがなも多く、ルビや句読点もある。語りかける口調でわかりやすく記されています。だから諭吉の考え方は理解できたと思うんです。ただ問題なのはそれを実践しようにも、時の政府には適応できる現実が用意されていなかったんです」