#12 そのアドバイス、押し付けになってない?
〜コントロール病から抜け出そう!
日常の小さな気付きから、社会問題まで。行政書士である筆者が、これまで相談を受けた経験と世の中の動きを元に、「夫婦を中心として人間関係を整える」ヒントを伝える連載コラムです。
とあるバスの中。目の前の優先席に若い女性が座っている。見たところ子連れでもなく、妊婦さんでもなさそう。足が不自由という感じでもない。とにかく普通の女性。私はとっさに「あーあ、なんでここに座っちゃうんだろう」と思ってしまいました。私の斜め後ろに、赤ちゃんを抱っこした女性が立っていたのです。そう感じた直後、目の前の女性が持っているバッグの中身が見えてはっとしました。彼女は大量の書類を抱えてバスに乗っていました。バスには網棚はありません。
人は常日頃、こうして他人を見ています。その見え方の基準は、ほとんど「自分の物差し」です。自分の物差しって、どこでも使える万能のものでしょうか。ここまで私のコラムを読んでくださった皆さんは、そうではないと分かりますよね。
人との会話でも同じことが起こります。誰かに何かを相談されたとき、それについて思ったことを言ったりします。それをアドバイスと呼んだりします。当然ですが、自分がどう判断するかを元にして伝える言葉です。相手の話を聞いて伝えるという場面で、みなさんはどんなことに気をつけていますか?
人とは勝手なもので、すぐ他人のことを分かった気になる。夫婦の間なんかはそれが特に顕著です。分かった気になると、人は相手の話を聞かなくなるんです。これ、多かれ少なかれ、結構やってしまうんですね。もちろん私もやってしまうことがあります。すると、判断が自分の物差しとなり、自分の言ってることが正しい!それはダメだよ、こうしないといけないよ、こうするべきだよ、となったりする。思い当りませんか?目の前のパートナーを自分と同化して、同じ物差しを持っていると思いこんでしまうと、そこから外れたものは全部否定したくなる。そんなとき、そこには「相手を自分の思い通りに動かしたい」という気持ちがあるかもしれません。無意識にね。
バスの中の女性の話も、これを「ダメ」と思うのは、あくまで私の立ち位置で私の目線で、私の常識からだけで判断した「ダメ」であって、相手のいろんな事情なんてわからずに、私が主観的に判断している「ダメ」なのです。彼女はものすごく疲れて足が痛かったのかもしれない。見えないけれど本当は具合が悪いのかもしれない。目に見えている「大量の書類のかばん」についても同じです。「立って荷物は床におけばいいじゃない」という判断も、他人がすることではないのです。床にバッグを置きたくない理由があるかもしれなくて、そんなことは他人がどうこう言うことではないんです。
相手が自分の思い通りに動かないとイライラする。そんなとき、あなたは「コントロール病」にかかっているかもしれません。それが、いい言葉では期待、と言うのかもしれませんが、多くは押し付け、なのではないかと私は思っています。以前も書いたことがありますが、イライラしているときはたいてい、自分の持っている思い込みに勝手に反応して怒っているんです。私にも思い当たることがないわけではないので、後から客観的に見てみると、こっけいな1人コント状態に思えて恥ずかしくなります。
他人には他人のニーズがあって、それぞれの行動や判断の基準は、究極的にはその人にしか分からない。これが、近しいパートナーという関係になると、「信頼」を無視して「期待」するようになってしまうのは、夫婦という関係性がそう思ってしまいかねない仕組みになっているからなのでしょう。「同じところに暮らしているから」という慢心が、パートナーを決めつけ、勝手に期待し、期待が裏切られると怒り、それが続いてあきらめになる。でも、そもそも、人は完全には分かり合えないものだと分かっていたら、あきらめるということ自体が必要ないと思うのです。だって、違う人なんだもの。最初から期待したりするものではないんだもの。
パートナーが片づけてくれない。連絡をくれない。家事をやってくれない。お願いしたのに予定を変更してくれない。日々生活していると、「~してくれない」という状況ってきっと山ほどあると思います。もしも誰かのしている行動を批判したくなったときは、ちょっと立ち止まってその気持ちを客観的に見て欲しい、そんな風に思います。
怒るな、イライラするな、悪いことしている人でも目をつぶれ、ということを言っているわけではありませんよ。そこは誤解しないでくださいね。相手に何かを伝えようと思ったとき、中でも特にマイナス要素のある感情がわいてきたときこそ、「あれ、これは自分の勝手な判断じゃないかな?」って確認してみる必要があると思うのです。たとえ、近しい夫婦という関係であっても、相手には相手の世界があって、相手なりのなんらかの判断がある、という思考からスタートしたときに初めて、アドバイスは押し付けではなくなり、怒りも相手のためにすることとなるはずなのです。
さて、12回連載のこのコラムも今回で最終回。毎回とても楽しく書かせて頂きました。そして、読んでくださっている方からの応援や感想が何よりの励みでした。クロワッサン倶楽部での連載は終了となりますが、これからもいろんなところで発信し続けますので、きっとまたどこかでみなさんとお会いできると思います。お読みいただき、本当にありがとうございました!
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