それを教えてくれたのが、恩師で大膳寮の料理人・加藤正之さん、母で料理家の辰巳浜子さんだ。
「加藤先生は、野菜料理とスープに力を入れていらした。一つの過程をもゆるがせになさらず、すべてを教えてくださった。セロリの株を丸ごと炊くスープも加藤先生のレシピです。煮サラダは、母の傑作。多くの野菜を同時に、同じやわらかさになるよう、じっくり蒸らし炒めをし、まとめ上げる作業は天才的でした」
時流は、時短。簡単。手抜き。だが、それは合理性とは大きく隔たっている、と辰巳さん。
「茄子はなぜ塩でアク抜きをするのか。小松菜はなぜ茎と葉を別に扱うのか。食べ心地よく仕立てる、おいしく作ることには意味がある。なぜなら、おいしく感じなければ、栄養にはならないからなのです」
青菜が一瞬で茹ですぎてしまうように、野菜の扱いは秒を争う。肉や魚と違い、極めて移ろいやすい食材だ。いじめないように扱い、10の火を3にも2にも加減して、決して油断をしない。七分茹でたらこの味になる、八分ならという経験の積み重ね。繰り返し。